映画

2009年10月 4日 (日)

古き良き時代のパリの下町に生きる人々-“幸せはシャンソニア劇場から”を観る

映画“幸せではシャンソニア劇場から”(“Faubourg 36”)を観てきました。監督・脚本はクリストフ・バラティエ(Christophe Barratier)、音楽はラインハルト・ワーグナー(Reinhardt Wagner)、作詞はフランク・トマ(Frank Thomas)。主なキャストは、ピゴワルにジェラール・ジュニョ(Gerard Jugnot)、ミルーにクロヴィス・コルニアック(Clovis Cornillac)、ジャッキーにカド・メラッド(Kad Merad)、ドゥースにノラ・アルネゼデール(Nora Arnezeder)、ラジオ男にピエール・リシャール(Piere Richard)、ギャラピアにベルナール-ピエール・ドナデュー(Bernard-Pierre Donnadieu)、ジョジョにマクサンス・ペラン(Maxence Perrin)、でした。

1936年のパリの下町。シャンソンにまだエイトビートのリズムも入らず、時間が現代よりもゆったりと流れていた時代の人情に満ちた物語です。貧しさゆえに離れ離れになってしまった父子の情愛、男と女の愛、そして周囲の人たちの優しさ、人情。それやこれやが観るものの心にしみいってくるような映画でした。

ブロードウェイのミュージカル、というか、ハリウッドの黄金時代のミュージカル映画を思い出させるようなシーンもあり、また、かつての“パリ祭”などの名画の雰囲気を味あわせてくれるようなカット割りもあり、素敵なミュージカル映画(ミュージカルと呼んでよいと思いますが)です。

資金難で閉鎖された劇場を、元妻に預けられている息子を引き取りたい一心で再興しようとするピゴワル。劇場で働いきつつ、労働運動に熱心なミリューと売れないボードビリアンのジャッキーが中心となり仲間が彼の劇場再興を助けていきます。この中で、色々なドラマが描かれるのですが、特に、母親のもとに身を寄せていた息子、ジョジョが帰ってくるシーン(ある夜、ピゴワルが一人寂しく住んでいるアパルトマンの窓辺にジョジョが良く弾いていたアコーデオンの音色が流れてきます。ピゴワルが窓の外をのぞいてみると、ミリューとジャッキーがジョジョのテーマソングとも言うべき歌を歌っている。それを見ていると、暗がりからアコーデオンを弾きながらジョジョが出てくるのです。ピゴワルは急いで階段を下りて外に出て、ジョジョと再会を果たします。そして、彼は、ミリューとジャッキーと三人でジョジョのアコーデオンに合わせて大声で歌うのです。)や再興なったシャンソニア劇場のステージでジョジョのアコーデオンと共演するピゴワルのシーンは胸が熱くなりました。

大掛かりな宣伝もなく、いささか地味な扱いではありますが、粋で、心がほのぼのとし、そして少し切なくなる名画です。フランス映画好きだけでなく、シャンソンやミュージカルを好きな方にはお勧めしたい作品です。

☆ この映画をまだ観ぬ人へ…

1936年、パリの下町。小さな劇場であるシャンソニア劇場は、資金難のために町の不動産屋、ギャラピアのために閉鎖されてしまいます。劇場で働いていたピゴワル、ミリュー、ジャッキーらは皆、失業してしまいます。ピゴワルの息子ジョジョは、20年間も自宅を出ないラジオ男にアコーデオンを習うのが楽しみ。父親を少しでも助けようとアコーデオンを街で弾いて稼ぎますが、やがて、警察に補導されてしまいます。そして、父親に定職がないため、父親のもとを去った母親に引き取られることになってしまいました。

息子を呼び戻すためにも何とかして定職につこうとするピゴワルは、ジャッキーが閉鎖された劇場を自分で開けて、近所の人を相手にショウをやろうとしているところを見て、シャンソニア劇場を再興しようと考えます。奮闘するピゴワルに仲間達も集まってきます。

ピゴワルはギャラピアと交渉して、1ヶ月間、試験的に劇場を開けることができるようになります。早速、オーディションを行います。応募者の中には、ギャラピアが推薦するデゥースも。デゥースに思いを寄せるギャラピア。しかし、デゥースとミリューは、段々とお互いに魅かれていきます。

シャンソニア劇場は無事に再興されるのか?息子ジョジョはピゴワルの元に戻れるのか?そして、デゥースとミリュー、ギャラピアの関係は…?そんな思いを抱かせながら、映画は進んでいきます。

                                                                                                                                 

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2009年5月 3日 (日)

イーストウッドの“グラン・トリノ”を観る

映画“グラン・トリノ(Gran Torino)”を観ました。監督・主演(ウォルト・コワルスキー)はクリント・イーストウッド(Clint Eastwood)、ウォルトの隣家に住むモン族の家族の少年タオ・ローにビー・バン(Bee Vang)、その姉スー・ローにアーニー・ハー、ヤノビッチ神父にクリストファー・カーリー(Christopher Carley)ウォルトの友人の床屋の主人マーティンにジョン・キャロル・リンチ(John Carroll Lynch)、といったところが主なキャストです。

とても感動的な映画でした。人生の終盤を迎えた男が、出会った少年のために何かを行うことによって、少年が救われ、また、彼の再生にもつながっていく(たとえそれが物理的には「死」であったとしても…)という点で、僕の大好きな“セント・オブ・ウーマン”に似た雰囲気をもっている映画です。(もちろん、背景もストーリーも違っていますが。)この映画の場合は、どこがどのように感動的だったのかを具体的に書くとネタバレになるので、あえて書きません。が、人間の気高さとか、死を通じて「生きる」ということを考えさせてくれる映画です。ただ、エンディング・クレジットで流れるイーストウッドの歌がなんとも味があって良い歌です。ぜひ、皆さん、ご覧になってください。

☆ この映画をまだ観ぬ人へ…

朝鮮戦争に従軍経験のあるウォルトは偏屈な老人です。自分の妻の葬儀に参列した人々には「(葬儀後のパーティの)ハムを食べに来ただけだ。」と一刀両断、懺悔を勧める若い神父には「頭でっかちの童貞」と毒づくしまつです。そんな彼は、定年までフォードの自動車工を勤めていて、1972年に自分でステアリング・コラムを取り付けたというグラン・トリノの名車が唯一の宝物です。

彼の隣家の住人はモン族の家族。家族の長男のタオは、学校にもいけず、仕事もなく、家でブラブラするだけ。彼は、不良グループの従兄弟に命令されて、グラン・トリノを盗みに深夜ウォルトの家に忍び込みますが、見つかってしまい、銃で追い払われます。翌日、ウォルトは、自分の家の芝生にまで入り込んでタオをいたぶっている従兄弟達に逆上して追い払ってしまいますが、それが結果的にタオを助けることになり、家族から感謝されることに。たまたま、黒人の不良グループに絡まれているスーを助けたこともあり、次第に、ウォルトとタオの一家の交流が始まっていきます。ウォルトも「どうにもならない身内よりもここの連中がまだましだ。」とつぶやくまでになっていきます。

ウォルトはブラブラしているタオに仕事を与えようとしますが、従兄弟達の不良グループがそれを邪魔して、タオを自分達の仲間に加えようとします。何とか、不良グループをタオから引き離そうと、ウォルトは、不良仲間の一人を叩きのめし、タオにつきまとうな、と言います。これに怒った不良グループの報復がタオ家族に対して行われます。卑劣な彼らに対するウォルトの怒り。そして、彼のとった行動は…?

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2009年2月 3日 (火)

観たあとに元気になれる-映画“マンマ・ミーア!”を観る

映画“マンマ・ミーア!(MAMMA MIA!)”を観てきました。監督はウエスト・エンドの舞台の演出も手がけたフィリダ・ロイド(Phyllida LLoyd)。そして、キャストは、ドナにメリル・ストリープ(Meryl Streep)、ソフィにアマンダ・セイフライド(Amanda Seyfried)、ロージーにジュリー・ウォルターズ(Julie Walters)、ターニャにクリスティーン・バランスキー(Christine Baranski)、サムにピアース・ブロスナン(Pierce Brosnan)、ハリーにコリン・ファース(Colin Firth)、ビルにステラン・スカルスガルド(Stellan Skarsgard)、スカイにドミニク・クーパー(Dominic Cooper)です。

監督(演出)、脚本(Catherine Johnson)、プロデューサー(Judy Craymer)がウエストエンドの舞台と同じだけあって、舞台の雰囲気を色濃く残しています。とは言っても、映画ですからギリシアの美しい風景をバックに物語りは展開しますし、いわゆるアンサンブルの人たちも舞台よりは多くなっています。

メリル・ストリープが大健闘です。歌が本職ではないはずなのに、歌も悪くなかったし、ダンスも良かったと思います。彼女、もうすぐ60歳なのによくあれだけ体が動くなぁ、と感心しました。僕は、ドナが“Slipping Through My Fingers”を歌いながらソフィに花嫁衣裳を着せている場面が好きで、舞台を観ていても、「つい、涙が…」という感じになるのですが、彼女の“Slipping Through My Fingers”もとても良くて、感動的でした。また、その後のシーンで、サムを相手に歌う“The Winner Takes It All”も、抑えていたのについに抑えきれなくなった彼女の感情が胸に迫ってきました。そして、ソフィのアマンダ・セイフライドもとても可愛らしかったと思います。ロンドンのソフィア・ラガベラス(Sophia Ragavelas)の次に良いソフィなのではないでしょうか。(実は、ソフィアのソフィを観たことがないのですが、ウエスト・エンドで2年間もエポニーヌを演じた彼女-僕はロンドンで彼女のエポニーヌを観たさに30回以上も劇場に通ったのです-のソフィはきっと素敵だったに違いないと信じています。)ただ、ピアース・ブロスナン…悪くないとは思うのですが、僕はどうしてもジェームス・ボンドを連想してしまいます。当たり役を持つことがその役者さんにとって良いことなのか悪いことなのか、というのはこういうことがあるからかもしれません。

舞台では、カーテンコールの際に、スポットライトが反転し舞台を照らし、ステージと一体となって観客も踊る楽しい時間があるのですが、映画でもそのシーンは用意してあるのですが、これはやはり舞台のようにはいきません。ロンドンなら映画館でも皆、踊っているのではないか、そんな気がしますが…しかし、良質なミュージカル映画を観ていると、舞台のときのように曲が終わるたびに拍手したくなり、抑えるのに苦労します。

このミュージカルはウエスト・エンドで数回観ただけで、劇団四季のものを観たことがありません。ですから、今回字幕付きで観て、「あぁ、こんなことを言っていたんだ。」という部分もあり、別の意味からも楽しめました。

アバのヒット曲のみを使ったジュークボックス・ミュージカルのはしりのような作品です。舞台がいいか、映画がいいか、これは観る人の好みによるのだと思います。が、これを観たあとに元気をもらえる、そんな映画であることには間違いはありません。

☆ この映画をまだ観ぬ人へ…

エーゲ海に浮かぶギリシャの小島。ドナはそこで小さなホテルを営みながら、娘のソフィアを育ててきました。そんなソフィも20歳になり結婚することに。ソフィは、ドナの若い頃の日記を盗み読み、自分の父親と思われる男性が三人いることを知ります。誰が本当の父親かを知るためにソフィはその三人の男性に結婚式の招待状を誰にも内緒で送りました。そして、結婚式の前日。ドナが若い頃、一緒にバンドを組んでいた親友のロージーとターニャ、ソフィの親友が島にやってきます。そして、ソフィの父親かもしれない男性、サム、ハリー、ビルも。三人がやってきたことを知り、その理由も分からずあわてるドナ。誰が本当の父親かを知りたいソフィ。ソフィは、本当の父親を見つけ出すことができるのでしょうか?そして、無事にスカイと結婚式をあげることができるのでしょうか?

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2009年1月31日 (土)

映画“エレジー”を観る

アメリカ映画“エレジー(Elegy)”を観ました。監督は“死ぬまでにしたい10のこと”のスペイン人のイサベル・コイシェ(Isabel Coixet)。主人公の大学教授のデヴィットにベン・キングスレー(Ben Kingsley)、その恋人コンスエラにペネロペ・クルス(Penelope Cruz)、デヴィットの親友ジョージにデニス・ホッパー(Dennis Hopper)、デヴィットの長年の恋人キャロラインにパトリシア・クラークソン(Patricia Clarkson)、デヴィットの息子にピーター・サースガード(Peter Sarsgaard)、ジョージの妻エイミーにデボラ・ハリー(Deborah Harry)です。

初老を迎えた大学教授であるデヴィットが30歳も若い学生コンスエラに恋をする物語です。誰が言っていたのか、「恋は、するものではない、落ちるものだ」とか。知性と教養を兼ね備えた独身の大学教授。彼には長年付き合っている欲望を満たす相手もいる。そんな彼が、美しい女子学生に恋をしてしまう。最初は自分の気持ちを十分にコントロールできると思っていたデヴィットは、しかし、彼女に恋に落ちた瞬間に、冷静さを失ってしまいます。嫉妬、不安、そして狂おしいほどの彼女への渇望。大人としてふるまわなければいけないことはわかっていても、コンスエラへの恋はそれを許してはくれません。そして、彼の気持ちの底にあるものは、彼の老いに対する不安であり、コンスエラの若さに対する引け目だったのではないでしょうか?

映画のプログラムに萩原朔美さんが書いているように、「恋は常に初恋」であり、「恋は狂気」であり、そして「恋に年齢は無い」ということを感じさせてくれる映画でありました。

☆ この映画をまだ観ぬ人へ…

厳格なキューバ移民の家に育ったコンスエラはとても美しく、ひときわ目立つ存在でした。デヴィットは大学教授であり、マスコミで論評もするちょっとした有名人。そんな二人が一夜を過ごします。「美しい女性と一夜限りの関係を楽しんだんだ」とデヴィッドをからかう親友である詩人のジョージですが、二人は一夜限りの関係では終わりませんでした。彼女への恋が深まれば深まるほど、デヴィッドの心には嫉妬、猜疑心等が芽生えます。それは、彼の老いに対する恐れであり、コンスエラがやがては若い恋人を作って自分から去っていくという不安の裏返しの感情でした。しかし、若く希望に溢れたコンスエラには彼の気持ちの奥までは理解できません。二人の関係は30歳の年の差が逆転して、コンスエラの方が大人のようにふるまいます。

未来への不安から逃れられないデヴィッドは、結局彼女との別れを選びます。彼女への思いを引きずりながらも、ジョージにも励まされながら、徐々に日常の生活に戻っていきます。そんな中、今度はジョージが急死してしまいます。愛する人を次々に失った喪失感からようやく立ち直れたとデヴィッドが感じ始めた2年後の大晦日。突然、コンスエラから電話がかかってきます。二人は、二年ぶりの再会を果たすのです。しかし、コンスエラの身の上には…

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2008年12月14日 (日)

“ハッピーフライト”でハッピーな気分

映画“ハッピーフライト”を見てきました。監督は矢口史靖さん。主な出演者は、副機長の鈴木和博に田辺誠一さん、機長の原田典嘉に時任三郎さん、チーフパーサーの山崎麗子に寺島しのぶさん、CAの斉藤悦子に綾瀬はるかさん、田中真理に吹石一恵さん、グランドスタッフの木村菜採に田畑智子さん、グランドマネージャーの森田亮二に田山涼成さん、オペレーション・ディレクターの高橋昌治に岸部一徳さん、乗客に笹野高史さん、竹中直人さん、CA斉藤悦子の父親に柄本明さん、です。

監督の矢口さんは、“ウォーターボーイズ”や“スゥイングガールズ”の監督さんです。この二作品は僕の大好きな作品なので、今回も期待していきました。期待は裏切られませんでした。飛行機というと機長とキャビンアテンダントが脚光を浴びることが多いのですが、地上で乗客の世話をするグランドスタッフ、飛行機の整備をする整備士の人たち、安全でスムーズな運行を図るオペレーション・コントロール・センターのスタッフたち、管制官のスタッフたち、空港周辺の鳥が飛行機の運航の妨げにならないように空砲を撃ち鳥を追い払うバードパトロール…こういった人たちの働きが、矢口監督らしく、軽妙に、コミカルに、そして、時にちょっぴり切なく描かれています。

綾瀬はるかさんの可愛くてちょっぴり頼りない新人CAや、寺島しのぶさんの毅然としたチーフパーサーがなかなか素敵でした。が、一番惹かれたのは、岸部一徳さん演じるオペレーション・ディレクターです。普段はIT化の波に乗り遅れて、昼行灯のような存在ですが、ここ一番というときには、ビシッと決める、とてもかっこよかったですよ。

映画の中の登場人物が本当に生き生きとしていて、リアリティがあって、空港で本当に出会いそうな人たちばかりでした。

☆ この映画をまだ観ぬ人へ…

ハワイ行きのチャーター便がハワイに向けて、羽田空港を飛び立とうとしています。新人CAの斉藤は初めての国際線搭乗。ブリーフィングに遅刻してしまい、チーフパーサーの山崎から厳しい声が飛びます。副操縦士の鈴木は機長になるためのOJTの最終フライト。ところが、指導教官は威圧感タップリの原田機長。一方、チケットカウンターではグランドスタッフの木村たちがたくさんのお客をさばいています。オーバーブッキングとなってしまった乗客をアップグレードして乗客の席を作っていったり、荷物を間違えた乗客を追いかけたり…整備士たちはオンタイムの離陸を目指して、時間をにらみながらの整備作業に一所懸命です。またオペレーション・コントロール・センターでは世界中の気候をチェックしながら、運航状況をコントロールしています。

準備が整い、飛行機は無事離陸。水平飛行に入り機内ではサービスが始まります。新人CAの斉藤は失敗が続き、しょげています。そんな時に、飛行機に異常が発生します。原田機長の判断で、羽田に引き返すことに。さあ、この飛行機の運命は…

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2008年11月15日 (土)

英国宮廷を舞台にした愛憎劇-“ブーリン家の姉妹”を見る

映画“ブーリン家の姉妹(“The Other Boleyn Girl”)”を見てきました。監督はこれが劇場用映画第1作目となるジャスティン・チャドウィック(Justin Chadwick)、主演の一人、ブーリン家の姉妹の姉、アン・ブーリンにナタリー・ポートマン(Natalie Portman)、妹メアリー・ブーリンにスカーレット・ヨハンソン(Scarlett Johansson)、ヘンリー8世にエリック・バナ(Eric Bana)、アンとメアリーの弟ジョージにジム・スタージェスJim Sturgess)、彼らの母親エリザベスにクリスティン・スコット・トーマス(Kristin Scott Thomas)、父親トマスにマーク・ライアンス(Mark Rylance)、アンとメアリーを使って、一族の繁栄を図ろうとする彼らの叔父ノーフォーク卿にデヴィッド・モリッシー(David Morrissey)といったところが主なキャストです。

時は16世紀、娘や結婚が政争の道具として使われていた頃のイギリスのお話です。王の寵愛を受ける二人の姉妹の人生を描いているのですが、ひたすら王を愛しようとするメアリーと王の愛を得てさらに女王の座までも求めたアンの生き方や考え方が対照的に描かれます。ナタリー・ポートマンはとてもきれいな女優さんですが、そんな彼女が野心に満ちたアンを演じると、美しさに凄みが出てきます。そして、一見、慈愛に満ちた優しさだけを持った女性のようなメアリーも、芯の強い激しい一面を持ち合わせており、静かな姿に潜む激情が垣間見えます。これまたスカーレット・ヨハンソンが熱演しています。また、姉妹を使って一族の栄華をもくろむノーフォーク卿と父親のトマスを冷ややかな目で見つめる“一家の良識”を象徴する母親エリザベスも目立たないながらもこのお話の要です。

それにしても、看病してくれるメアリーにホロっときたり、アンの手練手管で焦らしに焦らされて結局彼女の手中におちてしまうヘンリー8世は、王様とはいえ、ごくごく普通の男だったんだなぁと、少しがっかりしたり、安心(?)したり…でも、普通の男と違って、王様が女に狂うと、カソリック教会と絶縁してヨーロッパの諸国を敵に回したりすることになるから大変です。

野心を全てかなえたかと思われたアンの生涯は悲劇的な結末を迎えますが、その娘がエリザベス1世としてイギリスが繁栄した治世を支えます。月並みな表現ですが、やはり、歴史は女性がつくるものなのかもしれません。

☆ この映画をまだ見ぬ人へ…

16世紀のイングランド、ヘンリー8世の時代。ヘンリー8世とその王妃キャサリンとの仲は冷え切っていました。ノーフォーク卿と姉妹の父親トマスは、それを知り、アンに王の寵愛を受けさせ一族の繁栄を図ろうと企みます。ブーリン家を訪れた王は、二人の目論見どおりアンを気に入ったかに見えましたが、結局、王の関心を惹いたのは落馬した際に看病に当たったメアリーでした。一家は宮廷にあがり、メアリーとアンは王妃の侍女として仕えることになり、一家の男たちもそれぞれに職務を与えられます。メアリーは王の寵愛を受け、いつしか王を愛するようになります。このようにメアリーへの王の寵愛が深まるに従って一家の男たちの栄達も叶えられていきます。しかし、アンは、メアリーに王を盗られたと嫉妬と怒りに胸をたぎらせます。アンは幸せを自らの手でつかみとろうと、イングランドで最も裕福な領主といわれる貴族と密かに結婚してしまいます。しかし、この時代の貴族の結婚には王の許可が必要で、このような結婚は許されません。アンの将来を心配したメアリーは家族にこの結婚を告げます。怒った父親はアンをフランスに送ってしまいます。自分の幸福の邪魔をしたと、アンはメアリーに憎しみを募らせます。

やがて、メアリーは王の子供を身篭りますが、体調が悪くなりベッドで伏せることがおおくなります。それにつれて王の彼女に対する関心も薄れてきます。これに危機感を持ったノーフォーク卿とトマスはアンを呼び寄せて王の歓心をつなぎとめようとします。アンはフランスから呼び戻され、フランスの宮廷仕込の洗練さで宮廷の人気を博します。やがて、王も彼女に関心を抱くようになります。彼女の野心の行方は…そして、メアリーの人生は…?

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2008年11月 9日 (日)

古き良き時代のアメリカを舞台にした恋

映画“かけひきは、恋のはじまり(“Leatherheads”)”を観てきました。監督と主演のドッジ・コネリー役はジョージ・クルーニー(George Clooney)、新聞記者のレクシー・リトルトン役にレニー・ゼルウィガー(Renee Zellweger)、国民的英雄でアメリカン・フットボール界のスター、カーター・ラザフォード役にジョン・クラシンスキー、彼のエイジェント、C.C.フレイジャー役にジョナサン・プライス(Jonathan Pryce)です。

古き良き時代のアメリカを舞台にした、アメリカンフットボールに情熱をかける中年男、ドッジと勝気な女性記者との恋。二人の丁々発止のやりとりが魅力のコメディです。まだ、アメリカが自信に満ちていた頃(そして自信を持つことができた頃)を背景にして、二人の恋の行方を明るく描いていて、楽しめます。また、ジョナサン・プライスを久々に観ることができたのも嬉しいことでした。この人は、僕にとっては映画俳優というよりも舞台俳優、というかミュージカル俳優です。ミス・サイゴンのエンジニア役とかやっています。

☆ この映画をまだ観ぬ人へ…

1920年代のアメリカ。ドッジは、プロのアメリカンフットボールチームのダルース・ブルドッグのキャプテンです。この時代は、まだプロのアメリカンフットボールは現在とは異なり、人気も最低、試合中の喧嘩もしょっちゅうという状態。資金不足から、次々にチームも解散していきます。ブルドッグもスポンサーに見放されてしまいます。そこで、ドッジは、大学のフットボールのスターで、第一次世界大戦で一人でドイツ兵を降伏させたという伝説を持つ英雄であるカーターをブルドッグに入団させることで人気回復を図ろうとします。この試みは見事に成功。カーターが入団したブルドッグは連戦連勝。人気もうなぎ上りです。一方、カーターの英雄伝説が偽りであることを暴いて記事にすべく、レクシーもブルドッグに密着。カーターに取材を繰り返します。都会的な“新しい”魅力を持つレクシーにやがてカーターは恋をするようになります。一方、ドッジも、勝気なレクシーに魅かれていきます。

レクシーは果たして特ダネをものにできるのか?そして、ドッジとカーターのレクシーへの思いはどうなっていくのでしょうか…

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2008年9月28日 (日)

大人のためのラブ・ストーリー…映画の宣伝ではないけれど

映画“最後の初恋”(“Nights in Rodanthe”)を観てきました。主演は、高名な外科医のポールにリチャード・ギア(Richard Gere)と彼と恋に落ちるエイドリアンにダイアン・レイン(Diane Lane)。ダイアン・レインの夫、ジャックにはクリストファー・メローニ(Christopher Meloni)、エイドリアンの親友ジーンにビオラ・デイビス(Viola Davis)。そして、監督は、舞台演出家としても有名で、トニー賞も受賞しているジョージ・C・ウルフ(George C. Wolfe)です。

中年期の心に寂しさを持った男と女が海辺の小さなホテルで出会い、次第に惹かれあい、愛し合う…こうして書いてしまうと典型的なラブロマンスですが(事実、そうなのですが)、色々な人生を積み重ねてきた男と女が愛し合うことによってお互いを変化させていく、その過程がとても素敵に描かれています。リチャード・ギアもカッコいいし、ダイアン・レインが美しい。彼女はスクリーンの中でキラキラと輝いておりました。また、彼女の親友のジーンを演じるビオラ・デイビスも良い味を出していました。

映画のプログラムの中に「これは人生に第二幕があることを発見する人々の話なんだ。」という監督の話が紹介されていますが、その形容がまさにピッタリ来る映画です。深い愛と深い喪失感-これがテーマの映画ではないでしょうか。

映画の主題とは少し外れますが、映画の最後に近いシーンで、母親であるエイドリアン(ダイアン・レイン)に反抗ばかりしていた娘にエイドリアンが自分のことを語り聞かせる場面があります。この場面もなかなか良い場面です。

☆ この映画をまだ観ぬ人へ…

エイドリアン(ダイアン・レイン)は、思春期で反抗期の娘と喘息の幼い息子と三人暮らし。夫は家を出て、現在、別居中です。彼女の日々はいつしか色あせてしまっている。けれども、彼女は良い母親でいようと子供たちのために一生懸命暮らしている。ある日、彼女の親友ジーンが経営する海辺にぽつんと佇むホテルをジーンの留守の五日間、代わりにそのホテルを切り盛りするために、ノース・カロライナにある田舎町ロダンテへ。ホテルにはたった一人の宿泊客、ポールがやってきます。

ポールは高名な外科医。仕事一筋の彼。そんな彼のもとから妻が去り、同じように医師の息子も彼を拒否しているため、彼の毎日は孤独です。ある日、手術で患者を死なせてしまい、その夫に訴えられています。その夫から話がしたいと、夫が住むロダンテヘ向かったのです。

海辺のホテルで、最初のディナー。「一人で食べるのは味気ない。」というポールの言葉で、ポールとエイドリアンは二人でキッチンのテーブルで食事をすることになります。ワインを飲みながら二人はお互いのことを話します。反発しながらも惹かれあっていく。そんな二人が過ごすロダンテの町に嵐がやってきます。海に突き出したように佇むホテルは嵐に翻弄されるように。そして、そのときに二人は…

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2008年9月 7日 (日)

僕の人生を変える1行は…?-“幸せの1ページ”を観る

久しぶりに映画を観てきました。“幸せの1ページ”(“Nim’s Island”)です。出演は、売れっ子冒険小説作家で、外出恐怖症で潔癖症のアレクサンドラ・ローバーにジョディ・フォスター(Jodie Foster)、南太平洋の地図にもない孤島に海洋学者の父と共に住む女の子、ニム・ルソーにアビゲイル・ブレスリン(Abigail Breslin)、その父であり海洋学者のジャック・ルソーにジェラルド・バトラー(Gerard Butler)です。ジェラルド・バトラーはアレクサンドラが書く冒険小説の主人公、アレックス・ローバーも演じています。

人生なんて、たった1行で変えられる。-この映画のキャッチ・フレーズです。まさにアレクサンドラの人生は、ニムの「助けて」というメールによって大きく変わったのです。自宅の門にあるポストまで郵便を取りに行くことさえままならない外出拒否症で家に引きこもっているアレクサンドラが、南の孤島に行こうという気持ちになる。そして、家を出る一歩はとてもとても大きなストレスが生じたし、飛行機やボート等、ニムの住む孤島にたどり着くまでは彼女にとっては、経験したことの無いストレスを感じます。しかし、ニムを助けようと言う気持ちだけで、島にたどり着くのです。この、自分のためでなく、他人のために行動することで、自分の人生を変えていくと言うことが、この映画のテーマであり魅力ではないでしょうか。(一体、僕の人生を変えるような1行はどこにあるのでしょうか…?)それにしても、ジョディ・フォスター、コミカルや役柄に取り組んで好演しています。幼い頃は美少女と言う感じでしたが、人間的な魅力に溢れた女優さんになってきたように思います。ところで、ジェラルド・バトラーは、映画“オペラ座の怪人”のファントム役を演じていました。こういう顔だったんですね~(あの時は、マスクをしていたので…)

☆この映画をまだ観ぬ人へ…

アレクサンドラ・ローバーは、アレックス・ローバーを主人公とするベストセラー冒険小説シリーズの作者です。そして、彼女のペンネームは主人公と同じアレックス・ローバー。でも、小説に描くタフなヒーローと違って、彼女自身は、ひどい外出拒否症と潔癖症で引きこもり状態で小説を書いていたのでした。あるとき、息詰まって火山のことについて書いていた海洋学者に火山のことを質問するメールを出します。そのメールを見たのが、海洋学者を父に持ち、父と共に何回の孤島に住むニムです。彼女は、この島に子供のときから住んでいて、彼女の友達はペリカン、トカゲ、アシカなどなど。そして、アレックス・ローバーの大ファンです。彼女は、アレクサンドラの質問に答えるため、島の火山に登ったりして、アレクサンドラの質問に答えます。ニムの父親が研究のために沖に出て行ったきり嵐に遭い、消息不明になってしまいます。ニムは不安になり、彼女があこがれるヒーロー、アレックス・ローバーにメールを送ります。「私は一人ぼっち。助けて。この島に来て。」と。そのメールを受け取ったアレクサンドラの取った行動は…?

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2008年5月25日 (日)

何が現実で、何が幻なのか…映画“幻影師アイゼンハイム”を見る

映画“幻影師アイゼンハイム”(“The Illusionist”)を見てきました。監督はニール・バーガー(Neil Burger)。主人公、幻影師アイゼンハイムにはエドワード・ノートン(Edward Norton)、ソフィ・フォン・テッシェン公爵令嬢にジェシカ・ビール(Jessica Biel)、皇太子レオポルドにルーファス・シーウェル(Rufus Sewell)、アイゼンハイムを追いかけるウール警部にポール・ジアマッティ(Paul Giamatti)というところが主なキャスティングです。

時代背景は、奇しくもミュージカル“ルドルフ”と同じ19世紀末のウィーンです。ハプスブルク家の末期のウィーンで、イリュージョニストとして人気を博していたのがアイゼンハイムです。彼のマジックは「芸術の域に達している」との評判で、いよいよ皇太子レオポルドが彼のショーを観に劇場にやってきます。その隣に座るっているのはソフィ・フォン・テッシェン公爵令嬢でした。舞台に上がった彼女を見たアイゼンハイムの驚き!彼女はかつての幼なじみであり恋人であったソフィだったのです。二人は、かつて、お互いに愛し合うようになりますが、身分の違いから引き離されて、その後、アイゼンハイムも家を出て世界を放浪。その間に様々なイリュージョンを身に付けてウィーンに戻ってきたのです。再会を果たした二人は人目を偲んで逢瀬を重ねます。しかし、二人のことは間もなくウール警部を通じて皇太子の知るところになってしまいます。激怒した皇太子はソフィを自分の城に呼び出して婚約発表を早めることを告げますがソフィはこれを拒否して城を出ようとします。これを追う皇太子。諍いの声はソフィの馬をつないだ厩からも聞こえてきます。やがて、彼女の悲鳴の後に倒れた彼女を背に乗せた彼女の馬が城を出て行きました。翌朝、彼女は死体で発見されます。犯人は皇太子に違いないと確信したアイゼンハイムは、やがて、死んだ人間の魂を呼び戻すイリュージョンを行い、さらに多くの人の人気と関心を得ていきます。やがて、ある日、ステージに現われたのは、ソフィの姿だったのです。観客を前に彼女の“魂”は、誰が自分を殺したかを暗示していきます。このショーを中止させようと、皇太子はアイゼンハイムの逮捕をウール警部に命じます。ウール警部がステージ上のアイゼンハイムを逮捕しようとすると、なんと、ステージの上のアイゼンハイムも幻だったのです。一体、彼はどこに行ったのか?そして、皇太子の運命は?

アイゼンハイムが、ソフィの幻の手に触れようとするときの本当に悲しげな顔がとても印象的でした。この映画、最後にどんでん返しがあるような、ないような…一体何が現実で、何が幻なのか、映画の観客である僕までもがアイゼンハイムのイリュージョンの中に入り込んでしまったような、そんな思いのする映画です。

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2008年5月 4日 (日)

人間の怖さを見る-“譜めくりの女”を見る

フランス映画“譜めくりの女”(“La Tourneuse de Pages”)を見てきました。監督はドゥニ・デルクール(Denis Dercourt)。主人公のメラニー・プルヴォストにデボラ・フランソワ(Debora Francois)、高名なピアニスト、アリアーヌ・フシュクールにカトリーヌ・フロ(Catherine Frot)、その夫ジャン・フシュクールにパスカル・グレゴリー(Pascal Greggory)といったところが主なキャストです。

メラニーは、ピアニストを目指して懸命にピアノを練習する少女です。コンセルヴァトワールの入学試験で審査員である人気ピアニストのアリアーヌの前でメアリーは演奏を始めますが、アリアーヌが演奏途中にブロマイドにサインをして渡すという行為に集中力を失い、散々な演奏となり試験に落ちてしまい、演奏家になる夢を自ら封じてしまいます。そして、十数年後。彼女はアリアーヌの夫であるジャンが経営する法律事務所に実習生として働き始めます。ジャンが息子の世話をする人間を探しているのを知った彼女は、自らかってでて、子守として彼の家に滞在することになります。アリアーヌはメアリーがかつてピアノを弾いていたことを知り、演奏会の際の譜めくりを頼むことになります。次第に、メアリーに信頼と好意を寄せていくアリアーヌ。そしてメアリーが取った行動は…

この映画はあまりストーリーを書くと映画を見たときに面白くなくなるので、これ以上は書けません。この映画は、人間の心に潜む恐ろしさを描き出しています。この映画では、人間の嫉妬、絶望、憎しみ、復讐心などを扱っているのですが、メラニーが淡々と行動するだけに、見る側にじんわりと「怖さ」が伝わってきます。決して激することもなく、冷静に、時に謎めいた表情で、アリアーヌに対する復讐を-しかも、ある意味でとても残酷な方法で-果たしていくメラニーの心の中にあるものは、ひょっとしたら、誰もが心の深奥にもっているものなのかもしれません。オカルト映画でもない、パニック映画でももちろんない、人間を描いた映画ですが、とても怖い映画です。

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2008年4月27日 (日)

大いなる陰謀-戦争を始める者はこの若者たちの苦しみを知っているのか?

アメリカ映画“大いなる陰謀”(“Lions for Lambs”)を見ました。監督はロバート・レッドフォード(Robert Redford)です。主なキャストは、上院議員ジャスパー・アーヴィングにトム・クルーズ(Tom Cruise)、ベテランジャーナリスト、ジャニーン・ロスにメリル・ストリープ(Meryl Streep)、軍隊に志願してアフガニスタンの高地にむかう元カリフォルニア大学の学生アーネスト・ロドリゲスにマイケル・ベーニャ(Michael Pena)、同じくアーリアン・フィンチにデレク・ルーク(Derek Luke)彼らの指導教授マレー教授にロバート・レッドフォード、政治学に価値を見出せず授業に欠席を続ける学生トッド・ヘイズにアンドリュー・ガーフィールド(Andrew Garfield)、です。

ある朝、上院議員のジャスパーは、ジャーナリストのジャニーンを呼び、異例の1時間のインタビューを受けます。彼は、陸軍士官学校を主席で卒業して、今は大統領の側近、共和党の次期大統領候補と目されています。彼は、テロとの戦争を勝利に導くために、少数部隊を冬のアフガニスタンの山頂に展開しようというもの。これをジャニーンにリークをして、その代わりに好意的な記事を書かせようとします。その特ダネを前に、しかし、アーヴィングの「作戦のためには手段を選ばない。」という言葉に大きな疑問を感じます。スクープをものにするのか、これまで政府からの情報を報道することにより結果として戦争に加担してきたマスコミの反省から真実を追究したいという思い、その異なる思いの間でジャニーンの気持ちも揺れます。一方、同じ頃、カリフォルニア大学のマレー教授は、学問に対する熱意を失いかけている学生トッドに、かつての教え子であるアーネストとアーリアンのことを話します。彼らは「参加することの重要性」というテーマを考え、そして軍隊に志願していきます。「自分も軍に志願しろというのか」と反発するトッド。しかし、自らベトナム戦争に従軍した経験を持つマレー教授はもちろんトッドを志願させるつもりもないし、アーネストとアーリアンが志願することにも反対して思いとどまらせようとしました。マレー教授がトッドに伝えたかったことは「無関心でいるのではなく、何かのために行動を起こすことの大切さ」だったのです。一方、まさに同じ頃に、アフガニスタンでは作戦が開始されています。夜の闇の中を兵士たちを乗せたヘリコプターが尾根の上空を飛んでいる最中、予想していなかったテロリストからの攻撃を受けてしまいます。その中にアーネストとアーリアンの姿も。大きく揺れるヘリコプターからアーネストが山の中に落ちてしまいます。彼を見捨てられずに自らも身を投じるアーリアン。彼らを生け捕りにしようと次第に包囲網を狭めていく敵の兵士たち。彼らを救出するため爆撃機や攻撃用ヘリコプターが現地に向かいます。果たして、彼らは助かるのか?この作戦は成功するのか?

トム・クルーズが自信満々のエリート上院議員を演じています。多分、こういう感じの人がいるんだろうな、と思わせます。また、メリル・ストリープもベテランの記者を実在感のある演技で好演し、トム・クルーズの上院議員の話に疑問を感じながら質問を繰り返し、トム・クルーズの動に対して、メリル・ストリープは静で受け止める、そんな二人の丁々発止のやり取りは見ものです。エンディングは少々、あっけないように思う幕切れでしたが、戦争を始める側の人間と実際に戦う側の人間の対比がはっきりと浮き彫りになって、考えさせられる映画です。

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2008年4月24日 (木)

巨大法律事務所の陰で-フィクサー

アメリカ映画“フィクサー”(“Michael Clayton”)を見ました。監督がトニー・ギルロイ(Tony Gilroy)。主役のマイケル・クライトンにはジョージ・クルーニー(George Clooney)、彼の同僚弁護士アーサー・イーデンスにはトム・ウィルキンソン(Tom Wilkinson)、彼の所属する弁護士事務所のシニア・パートナーであるマーティン・バックにはシドニー・ポラック(Sydney Pollack)、彼らのクライアントであるUノース社の法務部門の総責任者であるカレン・クラウダーにはティルダ・スウィントン(Tilda Swinton)、NY市警に勤め兄マイケルに反発しながらも彼を助けるジーン・クレイトンにショーン・カレン(Sean Cullen)といったところが主なキャスティングです。

マイケル・クラントンはニューヨークの巨大法律事務所の“揉み消し屋”、フィクサーとして働いていました。同僚で弁護士事務所のシニア・パートナーであるアーサーは、農薬会社のUノース社が抱えている3000億円の集団訴訟の企業側弁護士として長年働いていましたが、原告の一人の証言録取手続き(アメリカでは、裁判を集中的に審理するために、裁判が始まる前に相手持っている証拠を出させたり、相手の証言を取ったりします。-実は、この手続きがとても時間とエネルギーを使うのですが…)の最中に良心の呵責から、原告や同僚弁護士のいる前で叫びながら服を脱ぐという奇矯な行動を取り、警察に留置されてしまいます。そして、原告側に与しようとします。マイケルは、弁護士事務所の経営者マーティンの指示で、アーサーを説得してこの事件を大事になる前に解決しようとします。また、Uノース社の辣腕法務本部長のカレンはこれに対して、アーサーの行為を妨害しようと彼を監視し始めます。その過程で、アーサーが会社側に決定的に不利な証拠を握っていることを突き止めます。やがて、マイケルもこの事実に近づいていきます。カレンの取った決断は?裁判の行方は?マイケルはこの事件を解決することができるのか????

弁護士がたくさん活躍する映画ですが、法廷シーンが全く出てこない映画です。表面は有能なキャリア・ウーマン然としていても陰では、洗面所の床に座り込み、荒い息をしながら、そのブラウス腋には大きな汗のしみが広がっているというほど強いストレスを感じながら働いてカレン。そんな彼女も、会社を守るため、即ち、自分の地位を守るために、超えてはならない一線を超えてしまいます。そして、陰の部分の仕事をやらされて、少々荒んだ生活を送っているマイケル。そんな二人に妙にリアリティを感じてしまうのは、巨大法律事務所や巨大企業に何となくつきまとっている、ある種の“うさんくささ”のせいでしょうか?アーサーを巡ってのマイケルとカレンとの闘いに、思わず見入ってしまいます。

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2008年4月20日 (日)

人には許されない罪と言うものがあるのだろうか

イギリス映画“つぐない”(“Atonement”)を見ました。監督はジョー・ライト(Joe Wright)。主演の恋人たち、セシーリアにキーラ・ナイトレイ(Keira Knightley)、ロビーにジェームズ・マカヴォイ(James McAvoy)、セシーリアの妹、ブライオニーの13歳当時をシアーシャ・ローナン(Saoirse Ronan)、18歳当時をロモーラ・ガライ(Romola Garai)、老年の彼女をヴァネッサ・レッドグレイヴ(Vanessa Redgrave)といったところが主なキャストです。

ブライオニーは多感な、そして、少女にありがちな潔癖な少女です。1935年、イングランド。彼女は、姉のセシーリアがロビーと諍いを起こして、下着姿になって噴水に飛び込む姿を一部始終見てしまいます。そして、二人が愛し合う姿も。そのような光景からロビーに嫌悪感を抱いてしまいます。そんなときに起こった彼女の姪が襲われた事件。ブライオニーはそこに居合わせたのですが、犯人がロビーだと証言してしまいます。連行されていくロビーにセシーリアは囁きます。「私のところに戻ってきて」と。そして4年後。ロビーは監獄から直接、ヨーロッパ戦線に送られました。ドイツ軍を相手に不利な戦いを強いられています。同じ頃、セシーリアは家を出て、看護士としてロンドンで働いています。ロビーが休暇の時にようやく出会え、二人は互いの愛がまだ続いていることを確認します。「私のところに戻ってきて」セシーリアの言葉をただひとつのよすがとして、苦しい戦線を耐えています。一方、成長して18歳となったブライオニーは取り返しのつかない過ちを犯してしまったことに気づき、大学に進むこともやめて、看護師の見習いとしてロンドンで働き始めました。その合間に、姉のセシーリアに許しを乞おうと彼女に何度も手紙を書きますが、セシーリアからは返事が全く来ません。ブライオニーの前には、戦場で戦い傷ついた兵士が次々と運ばれてきます。それはそれで彼女にとっては過酷な現実だったのです。ブライオニーはいよいよ意を決してセシーリアのフラットを訪ねようとします。

ブライオニーの過ちは許されるのか?そして、愛し合う二人の恋人は戦争という過酷な運命を乗り越えて結ばれるのか?

人の人生の中には悔やんでも取り返しのつかないこと、許しを乞おうとしても決して許されないことがあるのだということもあるようです。しかし、そのことを生涯苦しみ続けた人は、きっとどこかで救われているのだ、ということを伝えてくれるような映画です。アクション映画のような爽快さも、ロマンスの甘さもないけれど、人生の厳しさと奥深さを感じさせてくれる映画のように思います。イギリス映画らしい、香り豊かな作品です。セシーリアのキーラ・ナイトレイがとても美しいです。また、ブライオニー役の3人の女優さんは、全く別人なのですが(当然ですね)、あたかも同一人物が13歳、18歳、そして老年期と変わっていくような外見的にもとてもよく似た人たちをもってきていたように思います。キャスティングの妙ですね。特に、老年期のブライオニーを演じたヴァネッサ・レッドグレイブはとても難しい役立ったと思うのですが、とても素晴らしい演技で思わず引き込まれてしまいました。

原作(「贖罪」イアン・マキューアン-Ian McEwan-著)を読みたくなりました。

                                                                                                      

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2008年4月 9日 (水)

悲しみと喪失感と-“悲しみが乾くまで”

映画“悲しみが乾くまで”(“Things We Lost in the Fire”)を見ました。アメリカ映画です。監督はデンマーク人のスサンネ・ビア(Susanne Bier)、主演の夫を亡くし悲しみに沈む人妻オードリーにハル・ベリー(Halle Berry)、オードリーの夫の親友でヘロイン中毒のジェリーにベニチオ・ベル・トロ(Benicio Del Toro)、オードリーの夫ブライアンにデヴィッド・ドゥカヴィニー(David Duchovny)、オードリーの弟ニールにオマー・ベンソン・ミラー(Omar Benson Miller)、オードリーの隣人ハワードにジョン・キャロル・リンチ(Johen Carroll Lynch)、薬物中毒者のサークルでジェリーに関心を寄せる女性ケリーにアリソン・ローマン(Alison Lohman)といったところが主なキャストです。

オードリーの夫ブライアンは子供思いで、ビジネスも順調、妻を愛し、ヘロイン中毒となり皆から見放された親友ジェリーも見捨てない、理想的な夫であり人間です。しかし、ある日、彼は、不慮の事故と言ってもよいような出来事で拳銃で撃たれて死んでしまいます。最愛の人を突然失ってしまった妻オードリーはその現実を受け入れることができません。悲しみにくれるオードリー。ブライアンの葬儀にやってきたジェリー。彼は生前のブライアンから子供たちの話を聞いており、子供たちのことを良く知っていました。ジェリーを嫌っていたオードリーではありましたが、ジェリーがブライアンのことを自分と同様に理解していたことを知り、彼に親近感を感じるようになります。オードリーは悲しみの底に沈み、眠ることさえできません。誰かがそばにいてほしい-切実に思ったオードリーは嫌っていたはずのジェリーを訪ね、「しばらくの間、一緒に暮らしてほしい」と頼みます。最初は断ったジェリーですが、オードリーの懇願に一緒に住むことに同意します。愛するものを喪った者同士の共同生活が始まります。ジェリーはヘロイン中毒から立ち直ろうとし、また、子供たちもジェリーになついていきます。しかし、ある時に長女が学校に行っていないという連絡がオードリーのもとに届きます。混乱するオードリー。しかし、ジェリーは…

心から愛した人を突然喪ってしまう-その喪失感、混乱。その中で、人は、それぞれが辛い現実を受け入れなければなりません。受け入れた時に、人は号泣し、叫び、身悶えるものかもしれません。しかし、再生はそのときから始まるように思います。オードリーもあるときにブライアンの死という現実をなかなか受け入れることができず、ただただ悲しみの底に沈みます。が、ある時に初めてその現実を受け入れるのです。それはとても辛いことであり、彼女も身もだえして、号泣しますが、彼女の再生もそこから始まっていったの

ではないかと思います。立ち上がるのにジェリーが必要だったオードリー。そして、ヘロインに溺れていくジェリー。それぞれが弱さを持った人間が喪失感の中から再生していく物語です。オードリー役のハル・ベリーがとても美しく、好演をしています。

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2008年4月 3日 (木)

時空を超えた闘い-ジャンパー

映画“ジャンパー”(“Jumper”)を見てきました。監督はダグ・リーマン(Doug Liman)。主演のジャンパー、デヴィッド・ライス役にはヘイデン・クリステンセン(Hayden Christensen)、もう一人のジャンパー、グリフィンにジェイミー・ベル(Jamie Bell)、デヴィッドが愛するミリーにはレイチェル・ビルソン(Rachel Bilson)、ジャンパーを全て抹殺しようとする一団、パラディンのリーダー、ローランドにサミュエル・L・ジャクソン(Samuel L. Jackson)、デヴィッドの父親、ウィリアムにマイケル・ルーカー(Michael Rooker)、デヴィッドが5歳の時に家を出た彼の母親メアリーにダイアン・レイン(Diane Lane)が主なキャストです。

デヴィッドは、平凡な高校生。ずっと想い続けていたミリーに贈ったクリスマスプレゼントをクラスメートに見咎められ、凍った川の上に放り投げられます。それを取りにいったデヴィッドですが、足元の氷が割れて川の中に落ちてしまいます。厚い氷の下に閉じ込められた彼は気がついたら、安全な図書館に瞬間的に移動していたのでした。彼は、自分にテレポートの能力があることに気がつきます。彼はその能力を使って、自分の生活を楽しみ始めます。銀行の金庫に移動してお金を盗み、自分の行きたいところに移動する。それは孤独ではありましたが、それなりに楽しい生活でした。しかし、そんな生活も、古代からジャンパーの脅威を知り、彼らを抹殺することを使命とするパラディンの登場で乱されることになります。デヴィッドは、故郷に帰りミリーと再会します。そして、彼女を彼女が子供の頃からあこがれていたローマに連れ出します。しかし、ここにもパラディンの手が伸びていました。デヴィッド、そして、もう一人のジャンパー、グリフィンとパラディンの死闘が始まります。双方の力の限りを尽くした闘いは、一体どちらの勝利となるのでしょうか…

なかなかスリルのある映画で、楽しめました。特に、ミリーを助けるために、デヴィッドがローランドに闘いを挑むシーンはなかなか見せてくれます。ただ、デヴィッドのお母さんが実はとても重要な関係となってくるのですが、その辺をもう少し丁寧に描くと、もう少し違ったドラマになったかな、と思います。また、映画の本質とは関係ないのですが、日本にテレポートする場面もあるのですが、地下鉄

の銀座駅

を出てくると、目の前は渋谷の風景だったりして、少し笑えます。

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2008年3月30日 (日)

全編を流れる緊迫感-“ノーカントリー”

映画“ノーカントリー”(“No Country for Old Men”)を見てきました。作品賞、助演男優賞、監督賞、脚色賞と4部門で今年のアカデミー賞を獲得した作品です。監督はジョエル・コーエン(Joel Coen)とイーサン・コーエン(Ethan Coen)。老保安官エド・トム・ベルにトミー・リージョーンズ(Tommy Lee Jones)、不気味な殺し屋アントン・シガーにハビエル・バルデム(Javier Bardem)、シガーに追われるルウェリン・モスにジョシュ・ベローリン(Josh Brolin)、モスの妻カーラにはケリー・マクドナルド(Kelly MacDonald)といったところが主なキャストです。

ベトナム戦争の帰還兵、モスは狩の最中に偶然、メキシコのマフィアが麻薬取引の最中に抗争となり全員が死亡した跡を見つけます。そこで見つけた200万ドルを自分のものにしてしまいます。モスは、自分の妻のカーラに実家に戻っているように言い残し、金を持って逃亡の旅に出ます。マフィアが金を取り戻そうと雇ったのがシガー。彼は、圧縮した空気を使ったエアガンのようなものを武器として人を殺す不気味な殺人者。モスが金を奪った現場でマフィアから説明を聞いた後に彼らを殺してしまいます。シガーは彼の武器である酸素ボンベとモスにとられたお金に仕掛けられた発信機の受信装置を持って、モスの追跡を始めます。なんとかモスを助けようとする保安官のエド。彼は正義を信じている。彼はモスを助けることができるのか?モスは逃げ切れるのか??

この映画は全編にわたって緊張感に満ち溢れています。冷酷で変質的な殺人者、シガー。彼が刻々とモスを追い詰めていきます。その不気味さが画面に緊張感を生み出しているように思います。派手なカーチェイスやアクションシーンなどは無いけれど、思わずハラハラしてしまう場面の連続です。そして、意外なラストシーン。最初から最後まで息の抜けない映画です。特にアントン・シガーを演じたハビエル・バルデムは非人間的な殺人鬼の不気味さをよく出していたように思います。

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2008年3月27日 (木)

映画館で、魔法にかけられた

映画“魔法にかけられて”(“Enchanted”)を見てきました。ディズニー映画です。監督はケビン・リマ(Kevin Lima)、主役のプリンセス、ジゼルにエイミー・アダムス(Amy Adams)、現実のニューヨークで彼女を世話する離婚専門の弁護士ロバート・フィリップにパトリック・デンプシー(Patrick Dempsey)、ジゼルを追って魔法の国アンダレーシアからニューヨークにやってくるエドワード王子にはジェームス・マースデン(James Marsden)、ロバートの恋人のナンシー・トレイメインにはイディナ・メンゼル(Idina Menzel)、ジゼルをアンダレーシアから追い出してしまう女王で魔女のナリッサ女王にはスーザン・サランドン(Susan Sarandon)、この女王を慕う忠実な部下、ナサニエルにはティモシー・スポール(Timothy Spall)、そしてナレーションはあのジュリー・アンドリュース(Julie Andrews)です。

魔法の国、アンダレーシアに住むジゼルは森の中で動物たちと楽しく暮らしていました。彼女の夢は、愛する人と“真実の愛のキス”をすること。それを夢見ながら毎日を過ごしています。そんなある日、彼女の歌に惹きつけられたエドワード王子と出会い、二人はひとめで恋に落ちます。ウェディング・ドレスを着たジゼルを見つめるのは、自分の女王の座を守ろうとするナリッサ女王です。彼女はジゼルを騙して井戸に突き落とします。落ちていくジゼルがたどり着いたのは、現在のニューヨークのタイムズスクエアの近くです。魔法の国からいきなり現代社会に飛び込んだジゼルは全てに戸惑います。そんな彼女が出会ったのが弁護士のロバート。彼は彼女のことを迷惑に思いながらも、放り出すこともできず、世話をすることになります。一方で、ジゼルを救おうとエドワード王子も井戸からニューヨークへ。それを阻止しようと女王の部下のナサニエル、続いて女王本人もニューヨークへやって来て、繰り広げられる騒動の数々。そして、その騒動の末にジゼルの愛は…、というストーリーです。

アンダレーシア(アニメ)とニューヨーク(実写)との違い-おとぎ話の世界に住む登場人物達が現実社会(それもニューヨーク!)にやってくる-がそれぞれの登場人物の行動をちぐはぐにして、それがこの映画をとても面白くしています。そして、これまでの数々のディズニー映画のパロディが至るところに散りばめられていて(加えて、セントラルパークの最初のシーンはサウンド・オブ・ミュージックを思わせるシーンで、ナレーションがジュリー・アンドリュースであることを考えると、ミュージカルファンの僕としては、とても面白かったのです。)、とても楽しい映画で、笑えます。また、使われている音楽も美しい曲も多く、上質なで楽しいミュージカル映画という評価もできると思います。しかし、ディズニーだからといって、単に、お子様向けの面白い映画というだけでなく、美しいシーンもあり、特に、舞踏会でジゼルとロバートが互いの恋人の前で踊るシーンは、とても美しく、そこで歌われる“そばにいて”(“So Close”)という歌と共に、二人の心が伝ってきて、とても切ない気分になりました。

この映画は、僕の好きな映画の一つとなりました。素敵なミュージカル映画であり、近い将来、舞台化されるのではないでしょうか。アニメの部分と実写の部分の処理の難しさはあるものの、あのライオンキングを舞台化したディズニーのこと、きっとやってくれると思います。見終わって、映画館を出た後に、ハッピーになれる、お勧めの映画です。

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2008年3月23日 (日)

離れたところから人を想う-マイ・ブルーベリー・ナイツ

映画“マイ・ブルーベリー・ナイツ”(“My Blueberry Nights”)を見てきました。監督はウォン・カーウァイ(Wong Kar Wai)、主演のエリザベスには本作が映画初出演になるノラ・ジョーンズ(Norah Jones)、エリザベスが通うカフェのオーナー、ジェレミーにはジュード・ロウ(Jude Law)、エリザベスが旅先のメンフィスで出会う夫婦のアルコール依存症の夫、アーニーにデイヴィッド・ストラザーン(David Strathairn)、その元妻、スー・リンにレイチェル・ワイズ(Rachel Weisz)、他人を決して信じないというギャンブラー、レスリーにナタリー・ポートマン(Natalie Portman)。

ニューヨークのある夜、恋を失ったエリザベスを慰めてくれたのは、あるカフェでブルーベリーパイを食べながら、そのオーナー、ジェレミーと話すひと時でした。それでも、別れた恋人を忘れらないエリザベスは旅に出ます。失恋から57日目、彼女はメンフィスにいます。そこで別れた妻を忘れることができず、アルコール依存症になってしまった夫に出会います。その男とそして彼の元妻、それぞれの胸の中にはそれぞれの想いと哀しさがありました。そして、失恋から251日目。彼女は、決して人を信じないというギャンブラー、レスリーに出会います。彼女は、父親から自ら遠ざかることによって父親への想いを強めていきますが、自分自身でそれを認めたくありません。そんな人々とのふれあいを通じて感じたことを、折々にニューヨークのジェレミーに手紙で書き送ります。そして、ついにジェレミーは…

これは距離あるいは不在ということをテーマにした映画なのではないかと思います。去ってしまった妻を忘れることのできない夫の想い。そしてその彼を嫌いながらも、彼を完全に失ってしまった元妻の哀しみ。一方、人を決して信じないということを信条とするレスリーは父親から離れることによって、かえって父親への想いを強めます。しかし、それを自ら否定しながら生きている。そして、エリザベス。彼女は忘れるためにニューヨークを離れ、遠いところからジェレミーを想います。それぞれの想い、不在感等が紡ぎ合わされてこの映画は展開していきます。

ジェレミーが別れた恋人と彼女の思い出がたくさん詰まったカフェの外で、会話を交わすシーンが印象的です。そして、ニューヨークに戻ってきたエリザベス。ラストシーンのラブシーンはとても素敵でした。

今回が映画初出演のノラ・ジョーンズ。とてもナチュラルな演技で初出演とは思えませんでした。また、美人ギャンブラーのレスリー役のナタリー・ポートマンの演技も印象的でした。

一人旅に出ることで自分を見つめて直し、新しい人生に向かっていくエリザベス。その自然な強さがとても爽やかな映画です。僕にもこのような強さがほしい、と思います。

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2008年3月16日 (日)

大統領が狙撃された!テロリストを追い詰める…

映画“バンテージポイント”(“VANTAGE POINT”)を見てきました。監督はイギリス人のピート・トラヴィスです。TVプロデューサーのレックスにはシガニー・ウィーヴァー、シークレットサービスのトーマスにはデニス・クエイト、彼の同僚で後に「えっ」ということになるシークレットサービスのケントにはマシュー・フォックス、事件現場に居合わせたアメリカ人観光客のハワードにはフォレスト・ウィッテカー、アメリカ大統領にウィリアム・ハート、テロリストの首謀者のスアレスにサイード・タグマウイ、女テロリストのベロニカにはアイェレット・ゾラー、弟を人質にとられてテロリストに協力するハビエルにエドガー・ラミレス、ベロニカを愛して彼女に利用されるスペインの警察官エンリケにエドゥアルド・ノリエガ等が主なキャストです。

所はスペイン・サラマンカのマヨール広場。今まさに国際テロ対策のサミットが開かれようとしています。アメリカのアシュトン大統領がその会議に出席しまさに挨拶をしようとしたときに2発の銃声が!大統領が狙撃されます。その後、大統領が宿泊先にしていたホテルとサミットの演壇で大爆発が。マヨール広場は大パニックになります。この場面を目撃した(あるいは、この場面に関わった)人たち8人の視点でこの場面が繰り返し、描かれます。そして、テロリストを追跡し、追い詰めていくシークレットサービスのトーマス。繰り返し描かれるシーンを通して、事件の真実が少しずつ明らかになっていきます。それにつれて、トーマスもまたテロリスト達に迫っていくのです。狙撃された大統領の安否は?大統領は本当に無事なのか???ストーリーを全て書いてしまうと、特にこの種類の映画は面白くないので、あとは映画館でお楽しみいただきたいと思います。

ひとつの狙撃事件を何人もの視点で見ていき、その過程で段々と事件の真実が明らかになっていくという面白さ。あっと驚くどんでん返しの数々。後半のカーチェイスの迫力等、とても面白いサスペンス・アクションでした。デジャブに匹敵するお勧めのアクション・サスペンスです。

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2008年3月 4日 (火)

人はその最期になにを思うのだろう…

アメリカ映画“いつか眠りにつく前に”(“Evening”)を見ました。監督はハンガリー人のラホス・コルタイ。主人公のアン・グラントの若い頃をクレア・デインズ、年老いたアンをヴァネッサ・レッドグレイブ、アンの親友、ライラの若い頃をメイミー・ガマー(メリル・ストリープのお嬢さん)、老いたライラをメリル・ストリープ、アンの長女のコニーにはナターシャ・リチャードソン、次女のニナにはトニ・コレット、ライラの弟バディにはヒュー・ダンシー、若き日のライラとアンが共に愛したハリスにはパトリック・ウィルソン(映画“オペラ座の怪人”でラウルをやっていました。)、ライラの母親にはグレン・クローズ、人生の最期を迎えようとするアンの世話をする訪問加護しにはアイリーン・アトキンス、といったところが主なキャストです。

重病でまさに人生の最期を迎えようとしているアン。そんな彼女を二人の娘と派遣看護師が看病しています。二人の娘のうち、長女は順調な人生を歩んでいますが、次女のニナは自分自身に自信が持てず恋も仕事も長続きせず、現在の恋人との関係でも悩んでいます。そんな二人が見守るアンは、娘二人が知らない男の名前をうわごとで繰り返します。その名前は“ハリス”。彼はアンと親友のライラがともに愛した男性だったのです。

重い病に倒れて死を目前に控えたアンはまさに夢うつつ、彼女の中では現実と過去が交錯します。アンの若かった日々-アンは、ライラの結婚式の花嫁の介添えとして彼女の別荘に招かれます。そこで出会ったのが、ライラが一方的に幼いときから思いを寄せていたハリスです。ライラは、ハリスが彼女の気持ちを受け入れてくれないため、彼を諦めて他の男性と結婚しようとしています。そんな中、短い期間ではありますが、アンとハリスとの間に親密な絆がしだいに築き上げられていきます。一方、ライラの弟でありアンの大学のクラスメイトでもあるバディは繊細な神経の持ち主で、アンにひそかに思いを寄せています。彼は、姉のライラが実はハリスを愛していてその愛が報われないことを知ったために愛してはいない他の男と結婚しようとしていることを知り心を痛めています。しかし、どうすることもできずにライラの結婚式を迎えます。そんな夜に、バディはアンに自分の彼女に対する学生時代から持ち続けた愛を告白します。それを受け入れられないアン。彼女は、最初は繊細な彼を傷つけないように断りますが、バディは傷つき自暴自棄になり酔ったまま海に飛び込み仲間たちを心配させます。そんな彼にアンの怒りに震える一言が。「甘えないで!男になりなさい。私をほっておいて!!」アンはこの後、高ぶった心を静めるためにハリスにどこかに連れて行ってと頼みます。森の中の小屋で二人は共に一夜を過ごします。一方、バディはアンに弁解しようと彼女を追いますが、泥酔していたため自動車にはねられて死んでしまいます。バディの死の原因を自分に求めて苦しむアン。これが彼女の終生の心の傷となるのです。アンとハリスは、結局、その後、結ばれることなく、別々の人生を歩むことになります。アンは、その後、二回の結婚と離婚を繰り返し、バーの歌手をしながら二人の娘を育てていきます。アンは、自分の人生の最後のときに、そんな自分の人生を思い、夢とうつつの中を行きつ戻りつするのです。そんな時に年老いたライラがアンを訪ねてきます。アンのベッドの中で数十年前の若い時代に戻って話す二人。そんな会話の中でアンの心境に変化が・・・

バディの死をきっかけに別れたアンとハリスが街角で出会うシーンがとても印象的です。また、アンは死の直前に次女のニナに言う言葉がとても素敵です。「どうか幸せになろうとして。自信がないからといって恐れる必要はないのよ。なぜなら、人生に過ちなんてないのだから。」

生きるということについてしみじみと考えさせられる佳作だと思います。

人生の終焉を迎えた時、あなたは何を考えると思いますか?また、何を思っていたいですか?

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2008年2月19日 (火)

凛とした生き方-エリザベス1世の場合

“エリザベス:ゴールデン・エイジ”を見ました。イギリス映画です。監督は、前作の“エリザベス”同様、シェカール・カプール監督。主演のエリザベス1世は、これも前作と同様にケイト・ブランシェット、彼女が密かに愛する冒険家ウォルター・ローリーにクライブ・オーウェン、エリザベス1世の側近、フランシス・ウォルシンガムも前作と同様にジェフリー・ラッシュ、エリザベス1世の侍女のベス・スロックモートンにはアビー・コーニッシュ、スコットランド女王メアリー・スチュアートにサマンサ・モートンといったところが主なキャストです。

エリザベス1世は、プロテスタントを信仰するイングランド女王として即位しましたが、問題山積の毎日でした。特に、国内のカソリック勢力の動きは不穏であり、特にその象徴がスコットランドの女王、メアリー・スチュアートでした。カソリックを信ずる強国スペインのフィリペ国王も彼女を王女にしようと暗躍していました。エリザベスの毎日はとても緊迫した日々だったのです。その中でほっとできる時間はベスをはじめとする侍女たちと遊んだりするときだけ。そんな毎日の中で冒険家のウォルターと出会います。彼女の見知らぬ世界のこと、航海のことなどを話すウォルターにエリザベスは次第に魅かれていきます。そして、ウォルターも段々と彼女のことが・・・しかし、ヴァージン・クィーンとして生きていくことを誓った彼女はこれ以上前に進むことはできません。彼女は、ウォルターへの思いを抑えるため、侍女のベスを彼に近づけます。そして、彼女に自分を投影させて自分の気持ちを抑えこんでいきます。そんなある日、自分こそがイングランド女王であると主張するメアリー・スチュアートがエリザベスに暗殺者を差し向けます。暗殺は不首尾に終わり、ウォルシンガムはメアリーを死刑に処すように強く主張、エリザベスは反対しつつも死刑の命令を下します。この処置に激怒したスペインのフィリペ国王は当時世界最強といわれたスペイン艦隊をイギリスに差し向けます。勢力的には絶対に不利な英国軍。スペイン艦隊は刻一刻とイギリス沿岸に迫っていきます。そんな中、エリザベスは、甲冑姿で避難を勧める側近たちの前に姿を現します。そして、彼女は、馬に乗り前線の兵士たちの前で、自分も彼らと生死を共にして英国のために闘うと宣言します。この女王の言葉に兵士たちは大いに奮い立ちます。そして、いよいよ決戦の時がやってきます。この結末は歴史が示すところではありますが、やはり映画を見てのお楽しみということで・・・

未婚のままに一生、国家とわが民のために生きていくことを誓ったエリザベスではありますが、しかし、彼女にも生身の女性としての悩みも望みもあったのです。しかし、彼女は国家と民のために生きていくことを選んだ、この狭間にゆれる人間としてのエリザベスの心の葛藤が映像を通じてこちらにも伝わってきます。その姿は、凛として、美しい。ミュージカル“アイーダ”のアムネリスに重なります。自分の気持ちを押し殺して自分の立場に殉ずるというところに、人間の美しさが現われてくるように思います。このようなエリザベス1世の、脆い部分も内包しながらも強く凛として生きた姿を軸に、海戦シーンなどもあり、とてもスケールの大きな映画です。

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2008年2月17日 (日)

人間は一生に何回まばたきをするのだろうか?

フランス=アメリカ合作映画の“潜水服は蝶の夢を見る(Le Scaphandre et le Papillon)”を見てきました。監督はジュリアン・シュナーベル、主役のジャン=ドミニク・ボビーにはマチュー・アマルリック、彼の妻セリーヌにはエマニエル・セニエ、言語療法士のアンリエットにはマリ=ジョゼ・クローズ、編集者クロードにアンヌ・コンシニ、理学療法士のマリーにオラソ・ロペス・ヘルメンディア、ジャンの父親にはマックス・フォン・シドーといったところが主なキャストです。実話に基づいたお話です。

ジャン=ドミニク・ボビー(愛称、ジャン=ドー)は雑誌“ELLE”の人気編集長。42歳の働き盛り。華やかなファッション界で精力的に仕事をして、家庭には子供もいて、外では恋も楽しむ・・・のりに乗った人生であったに違いありません。しかし、そんなある日、彼は脳梗塞で倒れてしまいます。一命はとりとめたものの、彼に宣告された病名は、ロックト・イン・シンドローム(閉じ込め症候群)といわれるものでした。重度の脳梗塞で、全身の筋肉が麻痺してしまうと言うものです。実際に彼が動かすことができるのは左目のまぶただけ。彼は絶望してしまいます。彼は声に出せない言葉でつぶやきます。「まるで何かの標本のようだ・・・」しかし、言語療法士のアンリエットによるリハビリが始まります。まばたきの回数で意思表示をしようというものです。まばたき一回は「ウイ」、二回は「ノン」というように。やがて、アンリエットがアルファベットを読み上げて該当する文字のところでまばたきをする、単語の終わりにはまばたき二回の合図。こうしたリハビリを続け、コミュニケーションが取れるようになってくると、彼は絶望の中でも一筋の希望を見出すようになります。「体が動かないが自由になるものが3つある。まず左目のまたたき、そして、記憶と想像力だ。」と。そして、彼は、このまばたきによるコミュニケーションで自叙伝を書くことを思い立つのです・・・

ELLE”の編集長として華やかな生活を送っていた人が、左のまぶたしか動かせないと言う絶望のどん底のなかで、それでも「自分にはこれができる」というプラスの部分に思い至る-しかも肩肘張ったものではなく、とても穏やかに-、そして、それを実際に形にしていくという彼の強さに感動しました。

この映画の多くのシーンは、彼の左目から見えた風景を映し出します。見る側が、自分があたかもジャン=ドーと一体となったかのような思いにとらわれます。地味な映画ではありますが、「いかに生きていくか」という問いに対するひとつの答えを示してくれているように思います。

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2008年2月10日 (日)

不器用に生きる人達の人生が交錯する-そんな映画でした

“陰日向に咲く”を見てきました。劇団ひとりの同名の小説が原作です。監督は平川雄一朗監督。パチンコで借金漬けのシンヤには岡田准一さん、母の初恋の人を探す弁護士の寿子とその母、鳴子に宮﨑あおいさん、鳴子の初恋の人であり漫才の相方の雷太には伊藤淳史さん、雷太の憧れの人、ストリッパーのジュピターには緒川たまきさん、シンヤの父親で全てを捨ててホームレスになろうとするリュウタロウには三浦友和さん、大ぼら吹きのホームレスのモーゼには西田敏行さん、下り坂のアイドル武田みやこに平山あやさん、そのファンのゆうすけに塚本高史さん、というのが主なキャスティングです。

シンヤはバスの運転手ですが、パチンコに嵌って借金まみれで、借金の返済のために同僚が集めてくれたお金も使い込み、サラ金業者のブラックリストに載る始末。毎日のようにサラ金の取立てに迫られます。そんな毎日の中で、母親を探しているという寿子に出会います。切羽詰ったシンヤはオレオレ詐欺を犯そうとします。何度かの電話で出たおばあさんが自分から「いくら必要なんだい」との言葉。シンヤはお金をもらう代わりに花火に連れて行く約束をおばあさんとします。しかし、約束の花火の日におばあさんは来ない。おばあさんのところに電話すると具合が悪いが入院するお金がないという・・・

一方、寿子は、今は亡き母、鳴子がかつて恋をして共に漫才をやった雷太を探し出そうとかつて二人が漫才をやっていたストリップ劇場を訪ねます。あちこちを訪ね歩き、雷太が鳴子と分かれた後に一緒にいたというストリッパーのジュピターを探し出します・・・

ネットカフェの店長のゆうすけは、アイドルの武田みやこの大ファン。しかし、武田みやこは25歳の落ち目のアイドル。写真集発売記念握手会にもやってきたのはゆうすけと彼の仲間の3人だけ。ゆうすけはなんとか彼女を励まそうとしますが、見事に失敗してしまいます。そんな彼にも小学生の時の淡い初恋の思い出があるのです。その思い出の相手は…

シンヤの父、リュウタロウはエリートサラリーマンですが、妻に先立たれ、一人息子のシンヤも反抗して家を出てしまい、寂しさと虚しさの入り混じった気持ちで生活しています。ある日、新宿の歩道橋でモーゼを見かけて以来、ホームレスにあこがれる気持ちが強くなり、やがて、実際に公園にやってきて生活をするようになります。しかし、まだ現実の生活を引きずったままのホームレス生活なのでした。そんなときに、モーゼがプロ野球選手の川島の父親だという話が。川島が彼を迎えに来ます。「やっぱり、ここに残る」というモーゼではありましたが、川島に促されて、ともに公園を去っていきます。その数日後の台風の晩、モーゼのダンボールハウスに住みついたリュウタロウのところにある男が飛び込んできます。

このように全く別々の思いを抱きながら、それぞれの生活をしていた人々が、ある台風の晩にひとつの縁につながっていくという物語。色々な登場人物がひとつのつながりの中に納まってしまうという結末に若干の不自然さを感じつつも、大げさに言えば、「誰もが一生懸命に生きていけばやがてその魂が救われる」と言った思いを持って映画館を出てこれるような映画です。結局、寿子が、嵐の晩にジュピターが亡くなった部屋でシンヤに向かって言うこの言葉がこの映画のテーマなのだと思います。

「きっと・・・明日は晴れる」

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2008年2月 6日 (水)

アメリカン・ギャングスター

“アメリカン・ギャングスター”を見てきました。アメリカ映画です。監督はリドリー・スコット。麻薬取引を取り仕切る陰の顔役、フランク・ルーカスには“デジャブ”で主役の刑事役だったデンゼル・ワシントン、彼を追い詰める麻薬捜査官のリッチー・ロバーツにはラッセル・クロウ、フランクの母親役にはルビー・ディー、彼の妻エヴァ役にはライマル・ナダル、彼の弟ターナーにはコモン、彼をライバル視するハーレムのギャング、ニッキー・バーンズにはキューバ・グッディング・ジュニア、彼が麻薬を卸すことになるマフィアのドン、ドミニク・カッターノにはアーマンド・アサンテ、ニューヨーク市の腐敗警察官トルーポ刑事にはジョシュ・ブローリン、リッチーの上司のルート・バック地方検事にテッド・レヴィンといったキャスティングです。

1970年代のニューヨーク市。警察は腐敗していて賄賂が横行。また町では麻薬があふれていました。時代はベトナム戦争が行われていて、アメリカ兵の間にも麻薬が蔓延していました。フランクはハーレムのロビンフッドと呼ばれた黒人ギャングのボスに仕えていましたが、ボスの死後、一人でやっていこうと誓います。彼は、麻薬を産地であるタイで直接調達して、アメリカ軍のパイロットを買収、空軍機でアメリカに運ぶルートを開発しました。そして品質の良い麻薬を廉価で売り、やがて、ニューヨーク一帯の麻薬取引を支配するまでに力をつけていきます。一方、リッチーは他の警官のように賄賂を受け取ることを拒否し、正義をつらぬこうとします。そのために、他の警官から疎まれ浮いた存在に。このような環境から抜け出そうと夜学に通い、司法試験に挑戦します。そんな彼のもとにバック地方検事がやってきて彼を麻薬特別捜査官に任命します。フランクは、次第に、成功を収めます。しかし、極力、目立たないように行動し、その存在が世間に注目を浴びないように注意深く行動していきます。そのため、リッチーらの捜査にも彼の存在はなかなか浮かび上がってきません。しかし、そんな彼の周到さも、彼の家族・親戚をニューヨークに呼び寄せて、彼らを使って商売を拡大しようとした頃から綻びを見せ始めます。さらにベトナム戦争も終結して、これまでの方法が使えなくなってしまいます。これらの問題を解決すべくタイに飛ぶフランク。しかし、リッチーとその仲間たちの捜査の網もしだいにフランクに向けて絞られてきます。やがて、リッチーは決定的な証拠を掴みます。二人の対決の結末は…

これは実話に基づいた映画だそうです。アメリカがベトナム介入に失敗し、かつ、黒人との人種差別の問題も激化する時代に、一人で悪の世界にのし上がっていった黒人のギャングとあらゆる不正を拒否し、正義をつらぬこうとし、それ故に仲間の警官から疎まれる刑事との対決が息詰まるような映像で描かれます。大掛かりな銃撃シーンやカーチェイスのシーンがあるわけではありませんが、見るものを惹きつけてやまない展開が続く映画です。とても面白い作品です。

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2008年2月 3日 (日)

色、戒-LUST, CAUTION

“ラスト、コーション(LUST, CAUTION-色、戒-)”を見てきました。アメリカ、中国、台湾、香港の合作映画です。監督は台湾生まれのアン・リー。主演の日本の傀儡政権の特務機関に働くイーには香港生まれのトニー・レオン、イーに接近して暗殺の手助けをしようとする女性ワン・チアチー(マイ夫人)には中国人の新人女優タン・ウェイ、彼女が思いを寄せるレジスタンスのリーダー、クァン・ユイミンにアメリカ生まれで、現在は台湾でミュージシャンとして活躍中のワン・リーホンというキャスティングです。

第二次世界大戦の上海は日本軍の侵攻が迫っていました。この上海を逃れて香港に移住した女子学生のワン・チアチーは香港大学の演劇部で抗日戦線に加わっている男子学生クァン・ユイミンに出会います。ワンは、強い信念を持つクァンに淡い思いを寄せるようになり、彼に導かれるように次第に抗日戦線の活動に加わるようになります。クァンは、日本軍の傀儡政権の特務機関の幹部であるイーを暗殺しようとします。ワンは、女スパイとしてイーに近づくことを志願します。イーのもとで働いているクァンの幼馴染を使って、貿易商のマイ夫人として、先ずはイー夫人に取り入ることに成功します。そして、イーにも接近することに成功しますが、もう一歩のところで、イーは傀儡政権内で昇進したため急遽上海に戻ることになり計画は頓挫してしまいます。

それから二年後。ワンは上海に戻り、叔母の家に身を寄せながら上海大学に通っています。やがて、本格的に抗日戦線に参加しているかつての仲間と再会したワンは、プロの女スパイとしての訓練を施されて、再度、イーに接近を試みます。やがて、ワンの企みは成功し、イーは彼女に溺れていきます。時にワンのアパートで、時にイー夫人のいないイーの自宅で、二人は、激しく、熱い逢瀬を繰り返します。その中で、ワンの気持ちも少しずつ変化していきます。そして、イーが彼女のために頼んだ指輪ができあがるので二人でその宝石店にでかける日がイー暗殺の決行の日と決められます。その店に出かけた二人。そこで、ワンがとった行動は…

僕にとっては初めてのアジア映画でしたが、なかなか見ごたえのある映画でした。殺すために近づいたイーに次第に魅かれていくワンを演じるタン・ウェイの東洋的な美しさ。そして、セックスシーンが激しいながらも美しい映像で描かれていました。戦時下で死と隣り合わせに生きる男と女の激しく哀しい愛のお話です。

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2008年1月27日 (日)

“世界最高のプリマドンナ”のただただ一途な愛

“マリア・カラス最後の恋”を見てきました。世界のディーヴァ、マリア・カラスと世界の海運王アリストテレス・オナシスとの愛を描いたイタリア映画です。監督はジョルジョ・カビターニ、マリア・カラスにはナポリ生まれのルイーザ・ラニエリ、オナシス役にはフランス人の俳優ジェラール・ダルモン、カラスの元夫でマネージャーのテイッタにはフランスとイタリアで活躍するアウグスト・ズッキ、最後までカラスを見守り、尽くす女性エルザにはアメリカ生まれながらヨーロッパで活躍するシドニー・ローム、マリア・カラスの歌の部分の吹き替えは藤原歌劇団との共演経験もあるアンナリーザ・ラスパリョージです。

マリア・カラスはさほど期待された新人ではありませんでした。しかし、あるオーディションでマネージャーのティッタに見出されてしだいに頭角を現していきます。やがて二人は結婚しますが、フィッタは夫というよりもマネージャーとして、マリアに子供を作ることも禁じて、歌手マリア・カラスを世界に売り出していきます。そうして世界の歌姫と讃えられるようになったマリアはオナシスと出会うのです。マリアは彼女を一人の女性として愛してくれるオナシスにしだいに魅かれていき、やがてオナシスのもとに奔ります。マリアは夫と別れ、やがてオナシスの子供を身ごもり、オナシスも妻との間に離婚が成立。マリアは幸せな思いに包まれるのです。しかし、この幸せも長くは続きません。映画の後半はオナシスへの愛と哀しみと苦悩が彼女を襲うのです。

マリアは、ただひたすらに、一途にオナシスを愛し、そしてオナシスの愛を求めます。時には嫉妬に狂い、そして愛するオナシスの言葉に安堵する。そんなマリアの姿がとても切なく、また、ときに可愛く、ときに強く描かれています。特にラストシーンは切なく見るものの心に迫ってきました。

マリア役のルイーザ・ラニエリという女優さんを僕はこの映画で初めて見ました。とても美しい女優さんでした。

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2008年1月23日 (水)

復讐で流される血-“スウィニー・トッド”を見る

ジョニー・デップの“スウィニー・トッド”を見てきました。監督はティム・バートン、主役のスウィニー・トッド(ベンジャミン・バーカー)にジョニー・デップ、スウィニーを愛して、彼が殺した人の肉でパイを焼くミセス・ラベットにヘレナ・ボナム=カーペンター、ベンジャミンを見実の罪に陥れる悪徳判事ターピン判事にはアラン・リックマン、ターピン判事の子分バムフォードにはティモシー・スポール、ベンジャミンの美しい妻にローラ・ミッシェル=ケリー、その娘ジョアナにはジェイン・ワイズナー、スウィニーを助ける船乗りのアンソニーにはジェイミー・キャンベル=バウアーといったキャスティングです。

ベンジャミンの美しい妻に横恋慕したターピン判事はベンジャミンを無実の罪に陥れ、その妻を我が物にしようとします。妻は絶望の末に砒素を飲んでしまいます。ターピン判事はベンジャミンの娘を養女にして育てますが、美しく育ったその娘を我が物にしようと試みます。15年後、ベンジャミンは牢獄から抜け出して、スウィニー・トッドと名前を変えてミセス・ラベットのパイ店の2階にあるもとの場所で理髪店を始めます。しかし、彼は復讐の執念に燃えていました。憎いターピン判事に復讐を遂げるまで、邪魔者をはじめとして次々にその剃刀で喉を掻ききっていきます。そして、その死体の肉はミセス・ラベットの手でパイの材料に…おかげで、ミセス・ラベットのパイ店は大繁盛。さて、彼の復讐の行方は…?

これはスティーブン・ソンドハイムのミュージカルの映画化ですので、彼の曲がふんだんに歌われます。とても美しいメロディの曲がたくさん歌われ、暗めの画面と悲惨な場面と好対照をなしています。しかし、舞台ならばそうでもないと思うのですが、映画となると彼が鋭利な剃刀をふるうたびに夥しい血が流れるわけで、また、彼が人を殺すたびにミセス・ラベットの店のお客さんが死人の肉のミートパイを美味しそうに食べるわけで、この点には少々食傷気味でした。

今回、ベンジャミンの妻という役ではありましたが、ローラ・ミッシェル=ケリーは、ウエストエンドで2003年の“マイ・フェア・レディ”でイライザ役をやり、“メリー・ポピンズ”のオリジナルキャストでタイトルロールをつとめて、オリビエ賞のミュージカル部門の主演女優賞を獲得し、その後、ブロードウェイの“屋根の上のバイオリン弾き”では確か次女か三女役をやっているバリバリのミュージカル女優さんです。今回、彼女の歌をほとんど聞くことができないのが少し残念でした。

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2008年1月20日 (日)

“ヒトラーの贋札”を見る

第二次世界大戦末期、ドイツの戦局が不利になってきた時に、ナチスドイツは英国と米国の経済の混乱を狙って、大量の贋札を製造しました。作戦名は“ベルンハルト作戦”。この実話をもとに、強制収用所で贋札製造に従事させられたユダヤ人技術者たちの物語を描いたのがこの映画です。

監督はステファン・ルツォヴィッキー。主役のユダヤ系ロシア人の世界的贋作師サロモン・ソロヴィッチにカール・マルコヴィクス、ナチスへの協力を拒む正義感に燃えた印刷技師アドルフ・ブルガーにアウグスト・ディール、ベルンハルト作戦の推進者であるナチス親衛隊のヘルツォーク少佐にデーヴィト・シュトリーゾフ、終戦後サロモンがモンテカルロのカジノで出会う見所にドロレス・チャップリン、囚人監督のクリンガー医師にアウグスト・ツィルナーといったキャスティング。ドイツとオーストリアの合作映画です。

世界的な贋作師であるサロモンは、1936年、ベルリンで、犯罪捜査局の捜査官ヘルツォークに捕らえられてしまいます。彼が送られたところは刑務所でなく、ユダヤ人の強制収容所でした。すでにナチスによるユダヤ人の虐殺が始まっていたのです。過酷な収容所の生活でしたが、彼は絵の才能を活かして、将校の肖像画やプロパガンダ用の看板等を描いて生き延びていきます。しかし、やがて別の強制収用所に移送されることになります。そこで彼を待っていたのは、今やナチス親衛隊の少佐になったヘルツォークでした。ここに集められたユダヤ人たちに課せられた任務は贋のポンド札の製造。大量の贋ポンド札を流通させて英国経済を混乱させようという作戦の遂行だったのです。彼らは生きるために贋札を造らなければなりませんでした。造らなければ殺される。しかし、造れば彼らや彼らの同胞・家族を強制収用所に送り虐殺を繰り返しているナチス・ドイツに与することになる。この葛藤の中で、それぞれが苦しみ、悩みます。

極限におかれた人間の弱さと強さ-それを考えさせられて、ズシリと重いものが心に残った映画でした。

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2008年1月19日 (土)

この地球は誰のもの?

映画“earthアース”を見てきました。北極から赤道を通過して南極までの自然を美しく描いた作品です。監督はアラステア・フォザーギル。主役はこの地球と様々な生物たち。

北極熊の親子や水を求めて長い旅をするアフリカゾウ、餌のオキアミを求めて親子で南極の海まで旅をするザトウクジラの親子、北極熊から子供を守ろうとするアザラシ達。厳しい自然の中で自分たちの子供を守り育てる本能は、とても美しいものに思えます。そして、ライオンのゾウ狩りなど、弱肉強食の自然の営みは、陸上でも海の中でも繰り返しおこなわれているのです。

美しい自然の中でのこれらの営みは、しかし、地球温暖化の中で少しずつ狂いだしていることをこの映画は訴えています。この地球は決して人間のためだけにあるのではない、そんなことを考えさせられる映画でした。

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2008年1月14日 (月)

夢は願い続ければかなうのか?-人の幸せとはなんだろう

映画“エンジェル”を観てきました。監督・脚本はフランソワ・オゾン、主人公のエンジェル・デヴェレルにロモーラ・ガライ、彼女を崇拝し、彼女の秘書として生涯彼女を支えるノラ・ハウ=ネヴィンソンにルーシー・ラッセル、ノラ・ハウの弟でエンジェルが愛するエスメ・ハウ=ネヴィソンにマイケル・ファスベンダー、エンジェルの小説を出版するセオ・ギルブライトにサム・ニール、彼の妻で常にエンジェルを冷めた目で見続けるハーマイオニー・ギルブライトにシャーロット・ランブリングという配役です。

小説家を夢見る少女、エンジェル。彼女は、本も読みませんが、ただひたすら自分の想像をもとに小説を書き続けます。自信と野心と、そして、プライドに満ちた女の子です。そして、出版社にその原稿を送ります。すると、彼女の小説を出版したいという出版者が…やがて、彼女は売れっ子作家になり、富も名声も手に入れます。幼いときにあこがれた豪邸も手に入れ、愛する男性とも結婚することができます。彼女の未来は永遠に栄光と希望に満ち溢れていると、彼女には思えた。しかし…

エンジェルの、一見、非常に強くしたたかに見える女流作家の持つ、繊細で弱い心を持つ姿と、そして、そうであるが故の不幸をとても丁寧に描いているように思います。監督はフランス人ですが、英国を舞台にしたこの映画をとても上手く描いています。夢を目指して駆け上っていく主人公の脆さ、弱さが切なく胸に迫るそんな映画でした。

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重厚な心理劇…

映画“ジェシー・ジェームズの暗殺”を見てきました。とても見ごたえのある映画です。心理劇とでもいうのでしょうか…

キャスティングは、主人公の「義賊」としての伝説の人物、ジェシー・ジェームズにブラッド・ピット、彼に憧れながらも最後は彼を暗殺してしまうロバート・フォードにケイシー・アフレック、ジェシーの兄でギャング団の仲間のフランク・ジェームズにサム・シェパード、ジェシーの妻のジー・ジェームズにメアリー=ルイーズ・パーカー、ロバートの兄でやはりジェシーのギャング団の仲間であるチャーリー・フォードにサム・ロックウェル。ジェシーのギャング団の仲間では、ディック・リディルにポール・シュナイダー、ウッド・ハイトにジェレミー・レナー、エド・ミラーにギャレット・ディラハント、ロバートが最後に心を開く酒場の歌姫ドロシーにはズーイー・デシャネルというところです。

このお話は、義賊として伝説の人であったジェシー・ジェイムズと、人一倍彼にあこがれて、彼を崇拝していながら、彼を殺さずにいられなかったロバート・フォードの心理的な葛藤を描いたドラマです。

ジェシーとフランクが列車強盗を企んで森に仲間と潜んでいる時に、ロバートはやってきて仲間に入れてほしいと先ずはフランクに頼みますが、あっさりと断られます。それを受け入れたのがジェシー、ロバートの憧れの人でもありました。このロバートがその7ヵ月後にはジェシーを暗殺してしまう、この間のジェシーとロバートの心の動きを描いた映画です。時が経つにつれ、仲間さえも信じられず、次々に殺してしまうジェシー。彼の心の動きは病的でさえあります。そして、そんなジェシーの心の変わり様を身近に見て、自分も、自分の兄も殺されてしまうかもしれないという考えにとらわれるロバート。この二人の心の動きが克明に描写されていきます。なんとなく、織田信長と明智光秀との関係を思わせるような二人の関係でありました。そして、首尾よくジェシーを暗殺した後のロバートの人生も…

いわゆる西部劇ともアクションとも、サスペンスとも異なる、絶対的な権力として君臨するものの心理の変化と、従属するものの心理の変化を克明に描いた名作です。ブラッド・ピットも、犯罪者が段々と周囲の仲間に対して疑心暗鬼になり、やがてそれにさえ疲れ果てていく、という心の動きを、その狂気を好演しています。

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2008年1月 2日 (水)

お正月は縁起をかついで宝探し

皆さん、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

さて、今年の初めての記事は映画についてです。“ナショナル・トレジャー-リンカーン暗殺者の日記”を見てきました。2004年に公開された第1作目に続く作品です。監督は“あなたが寝てる間に”や“フェノミナン”のジョン・タートルトーブ。主人公の歴史学者でトレジャー・ハンターのベン・ゲイツ役にはニコラス・ケイジ、その恋人で古文書研究家のアビゲイル・チェイス役にはダイアン・クルーガー、ベンの親友であり相棒の天才ハッカー、ライリー・プール役にはジャスティン・バーサ、ベンの父親で暗号解析の専門家、パトリック・ゲイツにはジョン・ボイト、ベンの母親でパトリックの元妻で言語学教授のエミリー・アップルトンにはヘレン・ミレン、ベンらを執拗に追いかける謎のトレジャー・ハンター、ウィルキンソンにはエド・ハリスといった配役です。

この映画は、南北戦争終結5日後にリンカーン大統領が暗殺されるところから始まります。その日、酒場にいたベンの祖先のトーマス・ゲイツは二人組みの男に日記に書かれた暗号の解析を求められます。一人はトーマスの元に残り、もう一人はリンカーンを暗殺すべく劇場に向かいます。トーマスが暗号を読み取ると、それは財宝への地図だったのです。しかし、その男が南軍に味方する反逆者の集団であるゴールデン・サークル騎士団であることを見抜いたトーマスはその男に撃たれてしまいます。彼らに財宝への地図を渡さないようにするため、絶命する直前にその日記の一部を暖炉に投げ入れてしまいます。

そして時は現代に飛びます。ベンは、自分の祖先のトーマスの行為がなければ、財宝が南軍の手に渡り歴史が変わったかもしれない、と講演します。そこに、ウィルキンソンと名乗る男が発言を求め、焼かれた日記の一部を示し、自分の祖先の言い伝えによれば、トーマスこそ暗殺の首謀者であったと発言します。

ベンは、祖先の名誉を守るためには、実際に財宝を見つけ出して、自分たち一族に言い伝えられてきたことが正しいということを証明するしかないと考えます。ここからベン達の財宝探しが始まります。舞台は、バッキンガム宮殿からホワイトハウス等に移されて、様々なヒントを探していきます。そして、それを追いかけるウィルキンソン。多少、荒唐無稽な感じがないわけではありませんが、スリリングで手に汗握るというシーンがたくさんありました。難しいことは考えず、無条件に楽しめる作品です。

僕は、第1作は見ていませんが、これだけ見ても十分に楽しめる作品だと思います。

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2007年12月31日 (月)

今年最後の映画は…

映画“迷子の警察音楽隊”を観ました。イスラエルの映画です。監督・脚本はエラン・コリリン、音楽隊の隊長のトゥフィークにはサッソン・ガーベイ、彼の助手のシモンにはカリファ・ナトゥール、トゥフィークに反抗的な若手隊員カーレドにはサーレフ・バクリ、いずれもイスラエルで活躍中の俳優さんだそうです。そして、彼らを受け入れて、食事をさせ、一夜の宿を用意してあげるレストランの女主人、ディナにはロニ・エルカベッツ。すっきりとした美人女優です。

エジプトのアレキサンドリアの警察音楽隊がイスラエルに招かれて空港に降りたったところからお話が始まります。招待のはずが迎えが誰もいない。誇り高き隊長のトゥフィークは「25年間自分たちでやってきたのだ。」と、自分たちだけで目的地に行くことに。そして、若いカーレドに案内所で行き方を聞きに行かせました。ところが、これが間違いのもと。結局、着いたところは、イスラエルの小さな町。ホテルもなく、戻るバスももはや明日までない。それを知ったレストランの女主人ディナは、哀れに思ったのか、一夜の宿を段取りしてあげます。イスラエルとエジプトをはじめとするアラブ諸国は長く争ってきた歴史があります。レストランで食事中に、壁にかかっている戦車の写真(エジプトを攻撃している写真かもしれません。)を見て、一人の隊員がそっとその写真が隠れるように帽子を壁にかけるところにも、そんな一端が垣間見られます。3箇所に分かれて泊まるのですが、それぞれ、言葉がなかなか通じません。しかし、やがて、それぞれの気持ちが通じ合ってきて…

トゥフィークがとてもチャーミングです。そして、彼とディナとの交流が、本当にほのぼのとしていて、可愛らしくて、そして、ちょっぴり哀しく描かれます。また、カーレドが、女の子の扱い方を知らない地元の若者パピのデートに一緒に出かけて、恋の手ほどきをするところもほほえましく、そして、面白い名場面です。そして、ラストシーンで明るいけれど、ちょっと切ない別れが描かれます。

派手さはありませんが、なかなか素敵な映画でした。

さて、今年も、もう数時間で終わります。ご来店いただいている皆さんにとっては今年はどんな年だったでしょうか?僕は、今年の2月にこのブログを始めて、たくさんのお客様にご来店いただいて、これに支えられてきた一年でありました。皆様、どうもありがとうございました。また、来年もたくさんのお客様においでいただけるように、心を込めて、書いていきたいと思います。どうぞ来年もよろしくお願いいたします。

全ての皆様に素敵な年がきますよう、祈りながら、今年最後の文章を終えたいと思います。

皆様、良いお年をお迎えください!

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2007年12月26日 (水)

ある女性ピアニストの激情

“4分間のピアニスト”という映画があります。ドイツ映画で、監督・脚本はクリス・クラウス、ジェニーにはこれまでほとんど無名だったというハンナー・ヘルツシュプルング、クリューガーにはベテランのモニカ・ブライブトロイ、看守役にはスヴェン・ピッピッヒというキャストです。

刑務所でピアノを教える老教師トラウデ・クリューガーは、天才的な才能をもつピアニスト、ジェニーと出会います。彼女の才能を見抜いたクリューガーは、彼女の才能を花開かせることこそ自分の使命と考えて、刑務所長にかけあってピアノの特別レッスンを始めます。天才ピアニストと騒がれ様々なコンテストで優勝しながらも、愛されることを知らず、世の中に対して心を閉ざして、道を誤ってしまったジェニーは、まるで傷ついた獣のように周囲と対峙し、周りの全てのものに対して牙をむきます。そして、クリューガーは音楽だけに人生を捧げてきた厳格な教師。二人の人間の激しいぶつかり合いでレッスンが始まります。反抗を続けるジェニー。あくまでも服従を求めるクリューガー。そんな二人ですが、それぞれにも癒すことのできない心の傷があるのです。

レッスンが進むにつれ、やがて二人は心を開きあい、ドイツオペラ座でのコンテストを目指すことになります。しかし、ジェニーはかつて自分が傷つけた看守の罠にはまり、暴力事件を起こし、ピアノのレッスンを禁じられてしまいます。彼女をかばうクリューガーも解雇されてしまいます。そして,いよいよコンテストの日…

人間の魂と魂が激しくぶつかり合いを通じて、やがてそれぞれがお互いに心を開きあうようになる。それが、クリューガーとジェニーとの関係です。そして、ジェニーのまさに彼女の心の叫びというような渾身の演奏。静のクリューガー(一見、「静」に見えるクリューガーも実は心の奥底には激しい感情を秘めているのですが…)とは対象的にジェニーの激しい心の叫びが伝わってくるような映画です。

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2007年12月24日 (月)

“SMILE”でスマイル

映画“スマイル”を観てきました。少し時間が空いたので次の約束までの時間にたまたま合う時間帯だったので観たという感じです。さほど期待せずに観にいきました。ところが…

監督は陣内孝則。出演は、森山未來、加藤ローザ、田中好子、谷啓、坂口憲二、高樹沙耶、森公美子、原田夏希、飯島直子、原沙知絵、玉木宏と言ったメンバーに岡本杏理、綿貫智基、江口悠里、清水省吾、錦織草吾らの子役達。

小学生の弱小アイスホッケーチーム、スマイラーズとアイスホッケーを全く知らない素人監督のお話です。タップダンサーへの夢が破れて恋人が住む北海道の町の小学校の教師となった佐野修平(森山未來)は、その恋人山口静華(加藤ローザ)の父親から、自分がオーナーをつとめるスマイラーズを勝たせることを結婚の条件とされます。また、チームのメンバーもそれぞれに色々な事情や悩みを抱えているのです。しかし、修平の指導のもとチームの雰囲気もとてもポジティブになっていきます。そして、チームのエースである昌也(綿貫智基)とスマイラーズのホームリンクでフィギュアスケートの練習をする礼奈(岡本杏理)の淡い恋。しかし、礼奈の身にも…

結末は初めから読めてしまうようなストーリーではありますが、時にコミカルで、しかし、アイススケートのシーンは迫力がありますし、子供たちの熱い友情と昌也と礼奈のピュアな恋を描いたハートウォーミングな映画です。そう言えば自分にもあんな頃があったなぁ…とそんな気持ちにさせてくれます。

子役たちも演技が初めてとはとても思えない好演で、特に、江口悠里ちゃんはとても良い味を出していたと思います。それにしても、陣内孝則さんの雰囲気がそのまんま画面に現われた映画でした。

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2007年12月16日 (日)

聖なるシーズンに聖なる映画を

映画“マリア”を見ました。主演のマリアには、ケイシャ・キャッスル-ヒューズ、夫のヨセフにはオスカー・アイザック、マリアの母親にヒアム・アッバス、マリアの父親にショーン・トーブ、三賢人にナディム・サワラ、エリック・アブアニー、ステファン・カリファ、スタンリー・タウンゼント、ヘロデ王にキアラン・ハインズといったキャスティングでした。

この映画は、イエスの母マリアの物語。ナザレに住む10代の少女マリアは両親からヨセフとの結婚が整ったことを知らされます。その話に取り乱したマリアはオリーブの林に逃げ出します。そこで、天使ガブリエルに「神の子を身ごもった」ことを告げられます。そこから、マリアの喜びと苦しみが始まります。婚約をしたら1年間は純潔を守らなければならないというしきたりを破ったという周囲の冷たい目の中で「神はなぜ私をお選びになったのか」と悩むマリア。しかし、マリア同様、天使ガブリエルから「マリアの子は神の子である」と告げられた夫ヨセフとともにナザレから夫の故郷ベツレヘムまで苦難の旅を続けます。また、三賢人は、預言を信じて、神の子に会うべく星をたよりにベツレヘムに向かいます。一方、ヘロデ王は預言を恐れベツレヘムの2歳未満の子供を全て殺すべく、兵隊を差し向けます…

僕は信者ではありませんが、天上からの光に包まれてイエスを産むマリアの姿はとても感動的で、敬虔な気持ちになりました。これからの時期にとてもふさわしい映画ではないでしょうか。

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2007年11月28日 (水)

天才であるが故の悩み-“僕のピアノコンチェルト”

“僕のピアノコンチェルト”という映画があります。スイスの映画です。

主人公はヴィトスという天才少年。初めてもらったおもちゃのピアノに初めて触ったときにハピィ・バースディを弾きこなしたり、IQは高すぎて計測不能。こんな天才児ヴィトスに両親は素晴らしい未来を夢見て特にピアノの英才教育を施します。しかし、その英才教育のために、ヴィトスは自分が大好きだったピアノ教師もベビーシッターも変えられてしまい、好きなことやりたいことの多くを取り上げられてしまいます。そのうえ、ヴィトスは、飛び級によって12歳で高校に通いますが、天才であるが故に周囲のレベルとあまりに違いすぎて、どこに行っても周囲と浮き上がってしまうのです。自分を自分として受け入れてくれるのは、やさしいおじいちゃんだけ。ヴィトスは、やがて自分が周囲と違うということや両親をはじめとする周囲の過大な期待をもてあまし、やがて、それらを嫌悪するようになります。そんなときにおじいちゃんがヴィトスに向かって言った言葉は、「迷ったときには、自分の大切なものを手放してみるものだ」ということ。この言葉を聞いたヴィトスがとった行動は…これ以上書くとネタバレになりそうですので、あとは映画を観てのお楽しみ、ということにしますが、おじいちゃんの死や父親の失職等に直面して、やがてヴィトスは自分の進むべき道を見出していく、というお話です。

監督はフレディ・M・ムーラー。12歳のヴィトスは、テオ・ゲオルギューというロンドン郊外にある音楽の名門校バーセル・スクールに学ぶ若きピアニストが演じています。映画でも素晴らしい演奏を披露しています。おじいちゃん役は、ブルーノ・ガンツ。“ヒトラー~最後の12日間~”でヒトラー役をやった役者さんですが、とても良い味を出していました。父親役はウルス・ユッカー、母親役はジュリカ・ジェンキンス。どちらもスイスで舞台を中心に活躍している俳優さんです。

ヴィトスのような天才ではないにしても、自分自身が何をやったらいいのか分からなくなることがよくあります。自分の進むべき道が分からなくなり、思い悩んだ末にある決意をする、そのときの爽快感、爽やかさが伝わってくるような映画でした。

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2007年11月25日 (日)

すべて予定どおり?でも涙…“ALWAYS続・三丁目の夕日”

ALWAYS 続・三丁目の夕日”を観てきました。

人が、まだまだ温かく、今よりもっと他者に対して素朴に優しくあれた時代が昭和30年代なのかもしれません。

出演は前作とほとんど同じ。吉岡秀隆、堤真一、小雪、薬師丸ひろ子、堀北真希、三浦友和、小日向文世、温水洋一、手塚理美などなどです。

ストーリーは特にここでは説明しません。前作と同様に、吉岡秀隆扮する売れない作家、茶川竜之介と小雪扮する踊り子ヒロミとのラブストーリを中心に、一平と彼のはとこの美加との淡い恋と堀北真希扮する六子の幼友達の六子へのほのかな恋などがこれに絡みます。先のストーリーが読めてしまうにもかかわらず、それでも映画の中での人物に同化して一緒に笑い、泣いてしまいます。人が生きるということは、どこか滑稽で、そして哀しいことだけれど、でも、それでも、楽しく、素晴らしいことなのだと、そんなことを教えてくれるているように思います。

この映画を観た後は、きれいな夕日を見た後のように、どこか人恋しくなってしまう…そんな映画です。

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2007年11月19日 (月)

君の涙ドナウに流れ

映画“君の涙ドナウに流れ-ハンガリー1956”を観てきました。ハンガリー映画です。とても感動的な作品でした。この映画の背景となるハンガリー動乱、そして、ベルリンの壁、プラハの春…第二次世界大戦後の東西冷戦時代、この時代には多くの悲劇が起きました。そんな悲劇の中で実際に起きた事件を基にしたフィクションがこの映画です。

1956年のハンガリー。ハンガリーでは親ソ連派のラーコシ政権下で恐怖政治が行われています。その中でブダペストの市民たちは、自由と独立を望み立ち上がろうとしています。そんな中で、両親を秘密警察に殺され、独立のために戦う女子大生ヴィキと水球のナショナルチームのエース、カルチは出会います。カルチは彼女と出会う前に、対ソ連戦でソ連チームのメンバーを殴ってしまい、秘密警察から「家族が大切なら、これ以上ソ連人に歯向かうな」と言われています。最初、カルチは水球でオリンピックを目指す以外には女の子のことしか頭にないような普通の、革命など考えたこともない人間でした。しかし、ヴィキと出逢い、そして、実際に自分の幼馴染や市民達が銃弾で倒れていくのを見るうちに、特権を与えられてスポーツにだけ没頭している自分に疑問を持つようになり、チームを離れて自らも抵抗の戦いの中に身を投じていきます。そのような中で、カルチとヴィキは愛し合うようになるのです。

広場に集まった市民に対してソ連軍の戦車が無差別に銃撃するなどの悲劇が生まれましたが、ブダペストの市民達の抵抗は激しく、やがて、政府は駐留ソ連軍の全面撤退と秘密警察の廃止を発表し、実際にソ連軍は撤退します。ヴィキは、カルチに「戦いが終わったのだから、チームに戻ってオリンピックに出てほしい」と勧めます。カルチはチームには戻れないと言い、他の仕事を探して、ヴィキからは離れないと彼女に言います。しかし、ヴィキは母親の形見を彼に渡し、「自分はいつもあなたと共にいる。オリンピックに出てほしい。帰りを待っている。」と告げるのです。カルチは自分の腕時計を彼女に渡し、彼女の笑顔に見送られてチームに戻り、オリンピック出場のためにメルボルンに旅発ちます。

しかし、ハンガリーの平和は束の間のものでしかありませんでした。ソ連軍が撤退してちょうど1週間後、カルチがまさにメルボルンに向かうべく経由地のプラハに陸路で向かっている時に、ソ連軍が“秩序回復”という名の下に軍事介入を行います。ブダペストの街と市民をまさに蹂躙するソ連軍の戦車と兵士達。ブダペストの市民は再び抵抗を始めます。ヴィキも再び銃を取りその戦いの中に。数日持ちこたえればアメリカが助けに来てくれることを信じて…

一方、メルボルンに到着したカルチ達、水球チームのメンバーは祖国の様子をテレビで知り、祖国への絶望から戦う意欲も失いかけますが、コーチの「祖国は打ちのめされた。しかし、まだ終わっちゃいない。祖国のみんなに金メダルを贈るんだ。」という言葉に、再び、闘志を湧き立たせ試合に臨んでいくのです。やがて、準決勝。相手はソ連。会場の異常な興奮の中、試合が始まります…

出演は、カルチ役にはイヴァーン・フェニェーで、ハンガリーで舞台を中心に活動していて、最近は映画の出演も多く、ハンガリー映画界期待のスターだとか。ヴィキにはカタ・ドボー。ハンガリーでは人気の女優さんですが、最近はハリウッドに拠点を移して、“沈黙の標的”や“氷の微笑2”にも出演しているそうです。美人とはいえないかもしれませんが、とても魅力的な女優さんです。

1956年に勃発したハンガリー動乱(映画ではハンガリー革命と呼ばれています。)と“メルボルンの流血戦”と呼ばれたメルボルンオリンピックでの水球のハンガリー対ソ連戦という史実を背景にしたこの物語は、カルチとヴィキの愛の物語であると共にハンガリーの人々の自由への戦いの物語でもあります。ブダペストは僕も仕事で何回か尋ねたことがありますが、重厚な感じがする美しい街です。その美しい街並みが破壊されていくさまが、この国の人々の長い歴史の中の悲劇を象徴しているように思います。

また、この映画(監督:クリスティナ・ゴダ)は、映像もとても美しく(特に、ラブシーンはきれいでした。)、それが、カルチとヴィキの愛をいっそう美しく、そして、哀しく感じさせていたように思います。

この映画の原題は“愛、自由”。まさにこの映画は愛と自由を描いた映画だと思います。映画の最後に流れるハンガリーの作家マライ・シャーンドルの“天使のうた”の一部を記したいと思います。(映画のプログラムからの抜粋です。)

自由の国に生まれた者には理解も及ぶまい

だが私たちは何度でも繰り返し噛みしめる

自由がすべてに勝る贈り物であることを

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2007年11月11日 (日)

秋の連続殺人事件の行方は…

映画“タロットカード殺人事件”を観てきました。監督はウディ・アレン(Woody Allen)。主演は、ウディ・アレンとスカーレット・ヨハンソン(Scarlett Johansson)。これにヒュー・ジャックマン(Hugh Jackman)やイアン・マクシェーン(Ian McShane)が絡みます。

ジャーナリスト志望の女子大生サンドラ(スカーレット・ヨハンソン)は、手品を観にいき、おしゃべりなマジシャン、シド(ウディ・アレン)に指名されて、人が消えたり現われたりするというチャイナボックスの中に入ります。すると、急逝した敏腕記者ジョーが幽霊となって現われ、ロンドンを騒がせている連続殺人事件(死体にタロットカードが置かれているのが特徴)の犯人が名門貴族で新進の政治家であるピーター・ライモン(ヒュー・ジャックマン)であると告げるのです。野心満々のサンドラは、シドを仲間に引き入れ、なんとかピーターに近づこうとします。彼が通う会員制のクラブのプールでわざと溺れて彼の気を引くことに…作戦はまんまと的中。サンドラとシドはピーターの父親の別荘で開かれるパーティに誘われます。彼らは、パーティの最中にも何か証拠を探そうと必死になりますが、それらしい証拠は出てきません。逆に、サンドラは洗練されたピーターの魅力の虜になってしまいます。ピーターと恋に落ちたサンドラは彼に疑惑の目を向けることができなくなってしまうのです。ところが、サンドラの誕生日の夜、サンドラとシドは仕事でロンドンを離れているはずのピーターを見かけます。跡をつけたものの見失ってしまいますが、その直後、彼を見失ったすぐ近くで、また殺人事件が!恋心と疑心の間でゆれるサンドラ。そんな中で、連続殺人事件の犯人が逮捕されたというニュースが入ります。「ピーターは犯人ではなかった!」喜びとともに彼を疑ったことを深く悔いるサンドラは、別れを覚悟し、ピーターに、彼を疑って色々と探りまわっていたことを打ち明けるのです。けれどもピーターは寛大にこれを許し、彼女を受け入れます。「二人の間には新しい幸せな関係が始まる」サンドラは喜びにふるえます。しかし、一人で聞き込みなどを続けるシドは新しい事実に気がついて…

サスペンスは最後まで書いてしまったら面白くないので、後は映画館でのお楽しみ、ということにしておきます。この映画は、コメディの要素も多分に含んでいて(映画のパンフレットには“コメディ・サスペンス”と書いてありましたが…)、ウディ・アレンのとても早口にまくし立てるセリフに、これまた早口で対抗するスカーレット・ヨハンソンのコンビがとても良いコンビでしたし、スカーレットが、美人ではないけれど野心家で可愛い女子大生を好演していました。また、貴族のピーター役のヒュー・ジャックマンはとても長身で美形のオーストラリア出身の役者さんで、“回転木馬”、“美女と野獣”、“オクラホマ!”の舞台に出たり、ブロードウェイでは、“ボーイ・フロム・オズ”(“The Boy from Oz”)での演技で、トニー賞のミュージカル部門主演男優賞を獲得するなどミュージカルの出演経験も豊富です。また、この映画はロンドンが舞台となっているため、ロンドンの様々な風景を楽しむこともでき、僕にとっては嬉しい作品でした。

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2007年10月28日 (日)

ヘア・スプレー

今日は、映画“ヘア・スプレー”を見てきました。 時は人種差別がまだ残っている1960年代、ところはアメリカのボルチモア。ダンス好きのおデブの女子高校生がとってもポジテブ名考え方で、明るく生きていて、その結果、自分の夢も恋も手に入れてしまうというお話です。そこに、アメリカの人種差別の問題も絡むのですが、決して重たくならず、あくまで明るく前向きで、見た後に力がでてくるようなミュージカル映画です。

主人公のおデブな高校生トレーシーはニッキー・ブロンスキー(Nikki Blonsky)、その母親役にはジョン・トラボルタ(John Travolta)!!父親役にはクリストファー・ウォーケン(Christopher Walken)、トレーシーの親友のペニー役にはアマンダ・バインズ(Amanda Bynes)、その恋人シーウィード役にイライジャ・ケリー(Elijah Kelley)、シーウィードの母親にはクイーン・ラティファでした。 1960年代のアメリカを舞台にして、人種差別というような重いテーマを扱いながらも決して暗くならないのは、ひとえにヒロインのトレーシーの明るさと前向きさです。どんなにライバルから意地悪をされても決してめげずに前向きに生きているその姿勢がこの映画に明るさを与えていますし、観ている側にも生きていくパワーを与えてくれています。

これは、2002年にブロードウェイで舞台化されたものを映画化したものです。今年、ツアーが日本にも来ていましたが、結局、観にいかなかったミュージカルです。こんなに楽しかったのならば、観にいくんだったと後悔しています。明日の生きる力のほしい方には特にお勧めの映画です。

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2007年10月 9日 (火)

“Miss Potter”-英国の香りたかいアメリカ映画

映画“Miss Potter(ミス・ポター)”を観てきました。ピーター・ラビットの原作者であるビアトリクス・ポター(18661943)の半生を描いた作品です。

19世紀後半に生まれ、ロンドンの裕福な家庭に育ったビアトリクスは、「女性は結婚するのが当たり前、職業を持つことはとんでもないこと」という時代に、その才能を活かして絵本作家になることを夢見て、結婚もせず絵を描き続け、出版社を回ります。フレデリック・ウォーン社を訪れた時にチャンスが!出版社の方もさほど期待していなかったようですが、しかし、彼女の本は出版されるとじわじわと売れ始め、やがて、ベストセラーとなっていきます。そして、その編集者であるノーマン・ウォーンと恋に落ち、39歳のときにプロポーズされ、彼女の両親の反対を押し切って婚約することになります。幸せの絶頂にいたはずのビアトリクスはしかし、ノーマンの突然の病死によって、絶望のどん底に突き落とされることに…この悲しみは、一時、彼女から創造する力も奪ってしまいます。そんな彼女を救ったのは、湖水地方の美しい自然でした…

主演はレニー・ゼルウェガー。決して美人ではないけれど、筋の通った意志の強い、しかし快活な女性を好演しています。それにしても、この女優さん、“シカゴ”でロキシー役をやっていた女優さんです。当たり前といえば当たり前のことですが、役者さんというのは役が変わるとガラリと雰囲気も変わり、凄いものです…

さて、この映画の魅力は、ビアトリクス・ポターの半生を上手く描いていることはもちろんですが(この点では、先日観たエディット・ピアフの映画よりは優っているように思います。)、古きよき時代の英国の雰囲気と湖水地方の美しい自然がふんだんに描かれていることにもあります。特に、愛する人を失った失意の彼女を癒し、彼女もまたこよなく愛し、これを守ることに後半生をかけた湖水地方の美しい自然がとても豊かに、美しく描かれています。この映画はアメリカ映画ですが、英国の美しい一面がとてもよく出ているように思います。この映画はお勧めです。

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2007年9月30日 (日)

映画“エディット・ピアフ 愛の賛歌”を観る

今日、“エディット・ピアフ 愛の賛歌”を見てきました。実は、ピアフは僕の好きな歌手の一人です。あるときにシャンソンに夢中になったことがあり、その時に、彼女の歌声に魅せられました。シャンソンに興味の無い人は、ピアフと言ってもぴんと来ないかもしれません。“バラ色の人生”、“私の回転木馬”、“パダム・パダム”や“愛の賛歌”を歌った歌手といえば少しイメージをつかんでいただけるでしょうか?

彼女は決して美人ではないし、美声の持ち主でもない。しかし、彼女の歌声は聞く人の魂に直接訴えるような(たとえCDを聞いていても)響きを持っているのです。それは、きっと、彼女の波乱万丈の人生がその歌にそのまま表れているからなのだと思います。

ピアフは貧民街の路上でお母さんが産気づいて生まれたといわれています。(以下、映画を離れて少し彼女の生涯について書いてみたいと思います。)彼女は生涯をかけて愛した人が二人いるといっています。一人はヘビー級のボクサーのマルセル・セルダン、そして、もう一人は最後の夫となったティオ・サラポ。

この二人の中でも、マルセル・セルダンは彼女の人生の中で最も大きな意味を持つ男性なのではないでしょうか。ピアフはどん底の生活から抜け出した人気を獲得した時にマルセルと出会います。そして、ピアフにとっては、妻子持ちのマルセルではあったけれど、恋に落ち、心の底から愛した男だったのです。彼女は、マルセルのために愛の賛歌の詞を作ります。それは、日本語の詞の「あなたの腕に抱かれて私は夢見るの」というような甘くロマンチックなものではなく、「たとえ大地が裂けても、大空が崩れ落ちても、私はあなたを愛し続ける。あなたが望むなら悪いことでも何でもする。」という激しい愛を歌った情熱的な内容です。しかし、最愛のマルセルはこの歌を聞くことなく飛行機事故で帰らぬ人になってしまいます。この時のピアフの嘆き、悲しみ…しかし、それでも歌わなければならない、歌わずにはいられない。なぜなら歌こそが彼女が生きるということだったから。こんな状況で、あの名曲、“愛の賛歌”が生まれるのです。これ以降の人生は、マルセルの空白を埋めるように男を愛し、薬に溺れ酒におぼれる人生を送ります。47歳で亡くなる彼女の晩年は、これまでの生活のせいで外見は80歳の老婆のようでした。

でも、再起不能といわれた晩年を支えたのは20歳年下であったティオ・サラポ。彼女は、彼の支えがあって見事に復活を果たします。その時に歌ったのが“水に流して”、原題は“私は決して後悔しない”というフランス語です。「いいえ、いいえ、私は決して後悔はしない。人を愛し、傷つけ、悪いこともしたけれど、でも、全てを水に流して、またゼロから始めるのだ」という内容のマーチ風のとても力強い歌です。この歌で彼女は大復活を遂げるものの、それまでの生活の不摂生がたたり数年後に死んでしまいます。

映画の中で、このような波乱万丈なピアフの人生が完全に描かれていたとはいえないかもしれませんが、ピアフの人生を描いた映画としては、なかなか良い映画だったと思います。

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2007年9月24日 (月)

オーストラリア映画“キャンディ”

オーストラリアの映画“キャンディ”を見てきました。実は、全く予備知識無しで映画館に入ったので、軽いラブストーリーかと思ったら、かなり重たい内容の映画でした。詩人志望の青年、ダン(ヒース・レジャー)と画家志望のキャンディ(アビー・コーニッシュ)は会ってすぐに恋に落ちます。しかし、ダンには生活力が全く無く、しかもヘロインの常用者。やがて、キャンディもヘロインに溺れていくことに。ダンが働こうとしないため、結局、二人は盗みをしたりしますが、結局、キャンディが自分の身体を売ることに…それでも二人は愛し合っています。キャンディは、自分が身体を売らなければならない時でも、ダンを愛していて、悪態をつきながらも彼から離れられません。やがて、彼女は妊娠。二人はこれを機に薬もやめようと決心します。しかし、薬に蝕まれた彼女の体は妊娠に耐えられず、流産してしまいます。二人は田舎に引っ込み、再起を期しますが、やがて彼女は精神に異常をきたしてしまいます。そして、二人は…

といった内容です。プログラムにもありますが、“一緒じゃないと幸せになれない。けれども一緒にいると壊れてしまう”。男と女の愛の一つの形を見せつけられたように思います。ズシリときました。でも、アビー・コーニッシュはとても美しい女優さんでした。

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2007年7月29日 (日)

母は強し-“ボルベール(帰郷)”を観る

今日、スペイン映画の“ボルベール(帰郷)”を観てきました。主人公のラムインダはペネロペ・クルスというとても綺麗でセクシーな女優さんでした。自分の娘が関係を迫ってきた父親を殺してしまう。この娘をかばおうと必死の隠蔽工作をするラムインダ。彼女自身にも娘と同様の体験があり、そのまた母親にも…そして死んだと思っていた母親が実は生きていてラムインダの前に現れる。母親の告白で、10代の頃母親を拒んでいたラムインダの心が溶けていき、やがて、自分の同様の悩みを抱えている母親に自分の悩みの全てをを打ち明けようとする…ここで映画は終わります。あまり詳しくあらすじを書いていくとネタバレになってしまうので、このくらいで止めておきます。

この映画、「母は強し」ということを実感するような映画でした。娘をかばいとおそうとするラムインダの強さ。そしてラムインダの母親の懐の深さ。女性というのは、母親というものは本当に強いものです。この“ボルベール”という言葉は「帰郷」とか「帰還」という意味があるようですが、ラムインダにとっては母親への回帰という意味合いもあるように思います。ラムインダの母親役のカルメン・マウラがとてもいい味を出していました。

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2007年5月27日 (日)

博士の愛した数式

一つぶの砂に 一つの世界を見

一輪の野の花に 一つの天国を見

てのひらに無限を乗せ

一時のうちに永遠を感じる

ウィリアム・ブレイク

テレビで“博士の愛した数式”を見ました。事故のために80分しか記憶がもたない博士と家政婦、その息子とのふれあい、博士を見守る未亡人との関わり、そして成長し高校の数学教師になった家政婦の息子と生徒たちの出会い。それらを美しい四季の移ろいの中で、穏やかに描いたとても素敵な映画でした。冒頭の詩は、この映画のラストに出てきます。少し頑固で、そしてやさしさと愛情を内に湛えた博士。80分で記憶が消えてしまうので、博士と家政婦、その息子とは常に初対面。でも、やがてこの二人にとって博士と過ごす時間がとても大切なものになっていきます。また、80分たったら消えてしまうものではあるけれども、博士にとっても彼ら二人との時間はかけがえのないものであったのだと思います。

無味乾燥な数字が博士にかかると一つ一つが深い意味をもってくるのです。数字が、そして、数式がこんなにも哲学的であることを、僕は初めて知りました。

本当に淡々と人々の触れ合いを描いたこの映画は、淡々としているだけに、清々しく、そして深い味わいのある映画です。

それにしても、80分しか記憶がもたないということはそれ自体とても不幸な、悲しいことではありますが、人は忘れてしまいたい思い出をたくさん抱えて生きています。そんな思い出だけ80分で消えてくれればいいのですけれど…

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2007年5月 1日 (火)

クィーン

映画クィーンThe Queenを見てきました。

エリザベス女王との確執が噂されていたダイアナ元皇太子妃が自動車事故で亡くなってから、その葬儀までの一週間のエリザベス女王を描いた作品です。最高権力者であるが故の孤独。王室のこれまでのしきたり・ルールを守ろうとする強固な意志とそれが民衆の心から離れていくものだと知ったときの苦悩・葛藤。そんな悩めるエリザベス女王の姿をヘレン・ミレン(Helen Mirren)が好演しています。特に、川のほとりで一人涙するところは見る者の胸に迫ります。それにしても、エリザベス女王のヘレン・ミレンといい、トニー・ブレア役のマイケル・シーン(Michel Sheen)、シェリー・ブレア役のヘレン・マックロリー(Helen McCrory)など本物そっくりで驚いてしまいました。メーキャップや衣装等で顔・姿等も意識して似せているのでしょうが、いわゆる“ソックリさん”的なものでなく、なによりも仕草や雰囲気が似ていて本当にリアリティがあります。役者さんというのは本当にすごいものです。この映画、アクションがあるわけではなく、ロマンスがあるわけでもないのですが、ズシリとくる、とても見ごたえのある映画です。

ところで、この映画で懐かしい顔を発見!チャールズ皇太子役のアレックス・ジェニングス(Alex Jennings)は、2002年に“マイ・フェア・レディ(My Fair Lady)”-シアター・ロイヤル・ドルューリー・レイン(Theatre Royal Drury Lane)-で、ヒギンズ教授役をやっています。少しマザコン気味の教授をコミカルに演じて、その年のローレンスオリビエ賞の最優秀ミュージカル男優賞を受賞しました。何度か劇場の楽屋口であったことがありますが、とてもスマートな紳士でした。

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2007年4月 1日 (日)

桜の季節にドリームガールズ

今日は、暖かい一日でした。P4010455 桜も満開。とおりがかりの公園ではバーベキューなどをしながらお花見をしている人達がたくさんいました。ただ、花がもう吹く風に舞っていましたから、P4010456 この桜も今日が一番の見頃なのかもしれません。花はやがて散ってしまうからこそ美しい…

P4010458 夜の公園に咲く桜は妖艶です。

今日は、映画“ドリームガールズ”を観てきました。これはブロードウェイで大ヒットしたミュージカルの映画版でシュープリームスをモデルにしたバックステージものです。ミュージカルとしてもなかなかのものです。まさにアメリカのミュージカル!という感じです。歌も良いですし、ちょっぴり感動して、そして観た後に爽やかな気分になれます。例のごとく、これから見る人達のために詳しいストーリーは書きません。主人公のディーナ役のビヨンセ・ノウルズがどんどん綺麗になっていくのに驚きました。そして何よりこの映画の見所は、エフィー役のジェニファー・ハドソンの歌です。あの聞く人の心を揺さぶるよう歌声を聞くだけでも1,800円を払って映画館に行く価値があります。彼女の歌う“And I Am Telling You I'm Not Going”や“I Am Changing”は思わずほろりとさせられ、歌い終わった後に拍手しそうになって、「いけない、ここは劇場ではなくて、映画館だ」と自分に言い聞かせたほどでした。これは今、舞台でやっているのでしょうか?舞台でのドリームガールズを一度観てみたくなりました。

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デジャヴ-既視感

映画“デジャヴ”を観ました。なかなか見ごたえのある作品です。

2006228日。ところはアメリカ・ニューオリンズ。多くの水兵や家族が乗ったフェリーがテロリストによって爆破されます。その爆破の数時間前に殺された若い女。捜査官のダグはこの女と生前一度も会ったことが無いにもかかわらず、彼は彼女に“デジャヴ”感覚を持ってしまいます。フェリー爆破事件の秘密捜査に加えられたダグ。そこでは、7つの人工衛星から送られてくるデータを解析して、エリア内であればどんな映像でも見ることができるスクリーンが。ただし、データ解析に時間がかかるため、4日と6時間前の場面しか見ることができません。ダグは爆破事件前に殺された若い女の部屋を映し出すように迷うことなく指示します。

ここから、現在と4日と6時間前の間をいきつもどりつの息詰まるストーリー展開が始まります。台詞もなかなか凝っていて、台詞の中にも“デジャブ”感覚がたっぷり出てきます。これ以上書くとまだ見ていない人の楽しみを奪うことになりますので見てのお楽しみにということにしますが、絶対にお勧めの-1,800円を出してみる価値十分の-作品です!

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2007年2月12日 (月)

“幸せのちから”を見ました

昨日、日比谷スカラ座で“幸せのちから”を見てきました。主演はウィル・スミス(Will Smith)と彼の本当の子供であるジェデン・クリストファー・サイア・スミス(Jaden Chiristopher Syre Smith )です。ストーリーは、色々な不運が続き、妻にも出て行かれた男が、息子とともにホームレスになりながらも息子と幸福になるために、努力して、やがて成功をつかんでいくというものです。(ネタバレになると悪いので、細かいところは書きません。)実話をもとにしているそうですが、明日を信じて努力をし、チャンスを掴んだものは報われるという、アメリカ映画らしい映画でした。最後はこうなるとわかっていても、最後に、「ああ、良かったな」と幸せな気分になれる映画です。子役のクリストファーもなかなか好演でした。

原題は“The Pursuant of Happiness”「幸せの追求」です。なんだか、こちらの方がぴったりとくるような映画でした。日本語では、あまりストレートな表現をしませんね。

再チャレンジの安倍首相が泣いて喜びそうな映画です。

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