僕のミュージカル観劇の原点の一つ-“マイ・フェア・レディ”を観る
久しぶりに帝国劇場に行ってきました。“マイ・フェア・レディ”を観てきました。主な出演者は、イライザに大地真央さん、ヒギンズ教授に石井一孝さん、ピカリング大佐に羽場裕一さん、ドゥーリトルにモト冬樹さん、フレディに姜暢雄さん、ヒギンズ夫人に草村礼子さん、ゾルタン・カーパシーに藤木孝さん、ピアス夫人に春風ひとみさん、ハリィに治田敦さん、ジェミィに渡辺隆さん、アインスフォードヒル夫人/トランシルバニア女王にちあきしんさん、です。
この作品は、ロンドンに住んでいた頃、“レ・ミゼラブル”とならんで僕を励ましてくれ、同時に、ミュージカルの魅力を教えてくれた、とても思い入れのある作品です。ロンドンで観た、あの洗練された、そして、タップダンスがたっぷりの迫力ある舞台は、あのTheatre Royal Drury Laneの歴史ある重厚な雰囲気ともに、今でも、しっかりとこの胸に蘇ってきます。ですから、どうしても、その舞台と比較してしまいます。
この作品のテーマは、言葉とそれに密接に結びついたイギリス社会の階級です。ですから、これを英語以外で演じるとことは、単純に翻訳の問題だけでない困難がつきまとうことと思います。たとえば、コベントガーデンのシーンでイライザと彼女の仲間達が歌う“ラブリー”も言葉も文法も不正確で、まさに教育を受けていない人達の英語です。イライザがその仲間達と実に楽しそうに歌いあげます。そして、この歌は、イライザが舞踏会で成功を収めた後にヒギンズ教授の家を飛び出してやってきたコベントガーデンで仲間達にも気づかれず、もはや自分のいる場所でないことを悟ったイライザによって、その一節が歌われます。ただ、この時に歌うイライザの英語は、正確な美しい英語になっています。言葉によっても、イライザが以前暮らした世界に戻れないことを示しているのです。ちなみに、東宝のプログラムにはこの歌のタイトルを“ラブリー(It Wouldn’t Be Lovely)”としていますが、これは、“ラヴァリー(It Wouldn’t Be Loverly)”とすべきではないでしょうか。もちろん、loverlyという言葉はありません。正確にはlovelyです。しかし、先にも書いたようにこの歌は、教育のない人たちが自分達の言葉で歌う歌です。イライザも“lovely”(=素敵な)というつもりで、“loverly”と歌うのです。ロンドンで買った譜面集にもloverlyとなっています。せめてタイトルは正確に表記すべきだと思います。
今回の出演者の中では、モト冬樹さんのモト冬樹さんのドゥーリトルはとても素敵でした。ただ面白いだけの人物でもなく、破天荒なだけの人物でもない、なんとも味のあるドゥーリトルがそこにいました。案外、モト冬樹さんのハマリ役になるのではないでしょうか。
この作品は、とても洗練された素晴らしい作品だと思います。これからも、ずっと上演されていきますように…
☆ このミュージカルをまだ観ぬ人へ…
舞台は、ロンドンのコベントガーデンにあるオペラハウス。舞台がはねて、外に出てきた着飾った観客達は突然の雨に右往左往しています。その中を、花売り娘のイライザは花を売っています。コベントガーデンの市場で下町英語の訛りを研究していたヒギンズ教授は、インドの言語を研究しているピカリング大佐と出会います。二人は初対面ではありましたが、お互いの研究成果を通じて良く知る仲。すぐに意気投合して、ピカリング大佐はホテルを引き払い、ヒギンズ教授の自宅に行くことになります。そこで、イライザのひどい訛りを聞いたヒギンズ教授は、「彼女でさえ、きれいで正確な英語を話せるようになれば、きちんとした花屋で花を売ることができるようになるのだ。」と言います。その言葉を聞いたイライザは、翌朝、ヒギンズ教授を訪ねて、英語を教えて欲しいと頼みます。ヒギンズ教授は、イライザを6ヶ月で貴婦人のようにできるかどうかを、ピカリング大佐と賭けをすることになります。その日から、ヒギンズ教授の特訓が始まります。ヒギンズ教授の厳しい指導。これに時に反発し、時にくじけそうになるイライザ。彼女を優しく励ますピカリング大佐。果たして、イライザは美しく、正しい英語を身につけ、貴婦人となることができるのでしょうか…
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